昨日と、今日はレンタカーを借りてちょっとお出かけをしてきました。
今回は簡単にその結果を報告します。
まずは、28日です。
この日は、本来、前夜の夜のうちに出かける予定でしたが、直前にGWの宅配牛乳がまとめて、朝方に届くことを思い出しそれが届いてからの出発にしたので、家を出たのが朝の4時過ぎでした。目的は、新潟‐会津若松間の「ばんえつ物語」号の撮影でした。ですので、当初、会津回りでは遅刻するかも知れないので関越道を使い、直接新潟へ入ることとしました。関越道の上里SAで朝食をとり、越後川口SAで一息入れた後、一気に磐越道、安田まで出て撮影地に入りました。途中、長岡付近は豪雨の強行突破を強いられましたが、安田ICに着いたのが9時半くらいでしたから安心して撮影地入りが出来ました。この時には、雨は止んでいましたから助かりました。
最初の撮影地のセレクトは、暗い天候でも何とかなる場所と言うことで五泉‐猿和田間の早出川橋梁の会津若松よりの堤防からにしました。悪天候にもかかわらず、車が4~5台、撮影者が10名くらい居ましたが撮影地のキャパシティーが大きいのでぜんぜん問題なく一向に混ざることが出来ました。その後、列車を追いかけ、三川の直前で追い抜けたので、三川‐津川間の津川休憩所の鍾軌様わきの鳥居の場所でもう一回撮り、その後、鹿瀬の鹿瀬小学校わきで撮影をしました。この後、津川ICに戻り磐越道で西会津へ向かうことにしましたがちょっとしたトラブルが発生し、10分ほどロスをしましたが、西会津IC到着が12時でしたので、そこで降り山都近辺で撮影をすることにしました。途中、野沢‐尾登間の踏み切りで「ばねつ物語」の通過待ちがあったのでそこで急遽撮影し、山都へ向かいました。一向に天気は微妙に雲がかかった変な天気でしたが、明るさは何とかなりそうでしたので山都では一戸川(いちのとがわ)橋梁を阿賀川越しに俯瞰するポイントで撮影してから、会津坂下経由で会津若松へ向かいました。会津坂下では薬局に寄り、同乗者の車酔いの薬を仕入れました。津川から西会津でのトラブルの対策です。普段、飲んでから出かけるのにこのときは飲むのを忘れていたそうです。・・・・。高速道路に入る前に言ってくれたらもう少しまともな対応が出来たのに・・・、残念です。
会津若松に着いてからは、会津若松機関区で撮影をさせてもらいました。機関車を間近で撮影できるのでそれなりに賑わっていましたが、午後の出発時間間際まで居たのは私たちの他には、一人居ただけでした。
この日の午後からの蒸気機関車は、新潟へ戻るのではなくディーゼル機関車(DE10)の後押し付きで郡山へと向かうので郡山方向に移動です。微妙に道に迷いながら東長原駅手前のスイッチバック跡の築堤に昇ってそこで待つことにしました。この日は臨時の電車が走っているのと発車前のイベントのために少し遅れているようで、定刻の約10分遅れで通過していきました。思ったより、遅い通過速度に戸惑いましたがC57 180号機からまっすぐ飢えに立ち昇る黒い煙には感動を覚えました。てっきり、後補機がいるのであっさりと登ってくるものと思ったからです。
これが分かっていたら、フィルムチェンジをして連写したのですが残念でした。
この日の宿の確保に失敗したので、磐梯熱海温泉で一風呂浴びてから帰るつもりで国道49号線を走っていたところ、猪苗代湖が見えてきたら日が出てきて磐梯山がはっきりと見えてきたので突然磐梯山バックの写真が撮りたくなり、通貨時間をチェックしたところかなり余裕があったので途中野口秀雄記念館近くの観光休憩所でソフトクリームを食べてから、猪苗代ー川桁間の適当な場所でもう一回撮影をしてみました。ただし、待っているうちに日が影って磐梯山がぼやけてきてしまったのが残念でした。
その後、中山峠の様子を車から見てみたりしてから磐梯熱海の駅に日帰り入浴施設の情報を求めによってみると、ちょうど、蒸気機関車が着いたところでした。それの出発を見送ると午後5時半でした。温泉は、、液の観光案内所で紹介された郡山市営(磐梯熱海は郡山市)の公営施設内の入浴施設で約一時間くらいのんびりとしました。その後、下道で郡山市内に出て国道4号線バイパスに入り須賀川付近のファミレスで晩御飯をとった後、須賀川ICから東北道に入ってみると東京方面の高速道路はがらがらで概ね100キロ以上で巡航できたので、東京外環状道、大泉経由で家に着いたのが12時半でした。このとき、首都高に入らなかったのはあまりにも道路が空いていたので、かえって事故を警戒したからでした。
今回は簡単にその結果を報告します。
まずは、28日です。
この日は、本来、前夜の夜のうちに出かける予定でしたが、直前にGWの宅配牛乳がまとめて、朝方に届くことを思い出しそれが届いてからの出発にしたので、家を出たのが朝の4時過ぎでした。目的は、新潟‐会津若松間の「ばんえつ物語」号の撮影でした。ですので、当初、会津回りでは遅刻するかも知れないので関越道を使い、直接新潟へ入ることとしました。関越道の上里SAで朝食をとり、越後川口SAで一息入れた後、一気に磐越道、安田まで出て撮影地に入りました。途中、長岡付近は豪雨の強行突破を強いられましたが、安田ICに着いたのが9時半くらいでしたから安心して撮影地入りが出来ました。この時には、雨は止んでいましたから助かりました。
最初の撮影地のセレクトは、暗い天候でも何とかなる場所と言うことで五泉‐猿和田間の早出川橋梁の会津若松よりの堤防からにしました。悪天候にもかかわらず、車が4~5台、撮影者が10名くらい居ましたが撮影地のキャパシティーが大きいのでぜんぜん問題なく一向に混ざることが出来ました。その後、列車を追いかけ、三川の直前で追い抜けたので、三川‐津川間の津川休憩所の鍾軌様わきの鳥居の場所でもう一回撮り、その後、鹿瀬の鹿瀬小学校わきで撮影をしました。この後、津川ICに戻り磐越道で西会津へ向かうことにしましたがちょっとしたトラブルが発生し、10分ほどロスをしましたが、西会津IC到着が12時でしたので、そこで降り山都近辺で撮影をすることにしました。途中、野沢‐尾登間の踏み切りで「ばねつ物語」の通過待ちがあったのでそこで急遽撮影し、山都へ向かいました。一向に天気は微妙に雲がかかった変な天気でしたが、明るさは何とかなりそうでしたので山都では一戸川(いちのとがわ)橋梁を阿賀川越しに俯瞰するポイントで撮影してから、会津坂下経由で会津若松へ向かいました。会津坂下では薬局に寄り、同乗者の車酔いの薬を仕入れました。津川から西会津でのトラブルの対策です。普段、飲んでから出かけるのにこのときは飲むのを忘れていたそうです。・・・・。高速道路に入る前に言ってくれたらもう少しまともな対応が出来たのに・・・、残念です。
会津若松に着いてからは、会津若松機関区で撮影をさせてもらいました。機関車を間近で撮影できるのでそれなりに賑わっていましたが、午後の出発時間間際まで居たのは私たちの他には、一人居ただけでした。
この日の午後からの蒸気機関車は、新潟へ戻るのではなくディーゼル機関車(DE10)の後押し付きで郡山へと向かうので郡山方向に移動です。微妙に道に迷いながら東長原駅手前のスイッチバック跡の築堤に昇ってそこで待つことにしました。この日は臨時の電車が走っているのと発車前のイベントのために少し遅れているようで、定刻の約10分遅れで通過していきました。思ったより、遅い通過速度に戸惑いましたがC57 180号機からまっすぐ飢えに立ち昇る黒い煙には感動を覚えました。てっきり、後補機がいるのであっさりと登ってくるものと思ったからです。
これが分かっていたら、フィルムチェンジをして連写したのですが残念でした。
この日の宿の確保に失敗したので、磐梯熱海温泉で一風呂浴びてから帰るつもりで国道49号線を走っていたところ、猪苗代湖が見えてきたら日が出てきて磐梯山がはっきりと見えてきたので突然磐梯山バックの写真が撮りたくなり、通貨時間をチェックしたところかなり余裕があったので途中野口秀雄記念館近くの観光休憩所でソフトクリームを食べてから、猪苗代ー川桁間の適当な場所でもう一回撮影をしてみました。ただし、待っているうちに日が影って磐梯山がぼやけてきてしまったのが残念でした。
その後、中山峠の様子を車から見てみたりしてから磐梯熱海の駅に日帰り入浴施設の情報を求めによってみると、ちょうど、蒸気機関車が着いたところでした。それの出発を見送ると午後5時半でした。温泉は、、液の観光案内所で紹介された郡山市営(磐梯熱海は郡山市)の公営施設内の入浴施設で約一時間くらいのんびりとしました。その後、下道で郡山市内に出て国道4号線バイパスに入り須賀川付近のファミレスで晩御飯をとった後、須賀川ICから東北道に入ってみると東京方面の高速道路はがらがらで概ね100キロ以上で巡航できたので、東京外環状道、大泉経由で家に着いたのが12時半でした。このとき、首都高に入らなかったのはあまりにも道路が空いていたので、かえって事故を警戒したからでした。
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