じんべえ時悠帖Ⅱ

北国街道、上戸倉宿

 つい半月前までの猛暑に慣れた体にはいきなりの冷え込みは堪える。

石破内閣が最短記録を作って衆院解散となった昨日、日中も17℃まで

しか気温が上がらず終日石油ストーブを点けた。

 さて、信濃の北国街道ウォークは坂木(坂城)宿を抜けて千曲川沿い

の国道18号となり、しばらく歩道脇にはバラが植えられ目を楽しませて

くれる。坂城町はバラ栽培が盛んでトキ色の薔薇は「さかきのバラ」。

 しなの鉄道のトンネルの出口近く「横吹新道の設計図」が立つ。

昔は山裾まで千曲川だったため江戸時代は山肌の細い峠道を超えて

いたが、往来は厳しく人馬の転落事故も多かった。

 明治になって地元(坂木村)が千曲川脇に新道を作る願いを県に

出して翌年政府が認可。村民総出で岩を穿ち明治10年に完成。これが

今の国道18号の元となった。 

 やがて家や小路の度にアップダウンする狭い歩道となり1キロほど

続く。一気に疲労が増す嫌いな歩道である。国道18号線ゆえ交通量が

多く車道に下りる訳にはいかない。ないよりマシと思おう。

 

 しなの鉄道が近づき千曲市(戸倉町磯部)に入ってすぐの踏切を

渡り国道から分かれると上戸倉宿へと入って行く。

 数百メートルで土塀に突き当たるあたりが本陣や問屋があった

あたり。

 右手角が小出家本陣、左角の手前が玉井家本陣。

 土塀に突き当たって左折して行くのが北国街道だが、右に行った

ところに神社が二つあるというので寄ってみる。急坂の途中の眺望。

千曲川の対岸は戸倉・上山田温泉街。後ろの冠着山頂に雲がかかる。

 山肌に建つ善光寺別院の上、微かに見える櫓は荒砥城址の狼煙台。

荒砥城は葛尾山で武田信玄を2度撃退した村上義清の支族にあたる

山田氏が築城。川中島合戦の折には上杉・武田双方が奪い合った。

 さて、土塀の先の急坂の上、福井神社と柴宮神社が同じ石段の上に

ある。ちょうど秋祭りの日であちこちに「磯部」の提灯がぶら下がり、

裃姿の住民が歩いている理由がわかる。

 北国街道は鉤形を曲がり再びしなの鉄道を渡って国道18号に戻る。

また嫌な狭い歩道。次は2キロほどで下戸倉宿。元は一つの宿だった

分村で上下二つの宿に別れた。

 続きは次回。

 

 

 

 

 

 

 


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