例幣使街道の最終回を歩いている時に起きた韓国の非常戒厳事件。
尹大統領の弾劾訴追は与党の欠席という狡猾な対応で否決となったが、
与党内では尹大統領を見放す動きが報じられる。
憲法違反といえる戒厳部隊(軍)の国会への展開など「小心者」尹
の御乱行には、弾劾、罷免など厳しい対応が取られるべきである。
さて、例幣使街道5日目は小さな神社(天満宮)で昼食を摂った後の
後半である。旧道は県道11号を横切り、1キロ先で反対方向から再び
横切る。すぐに大きくゆったりとカーブして真北への道となる。
左手には岩船山から北へ伸びる山並みだが標高は百数十メートルくらい。
このあたりの海抜が30mちょっとだから比高は百二十メートルほどである。
例幣使街道はやがて富田宿へと入って行く。
軍馬観音が立つ和久井家は本陣と同じ名である。後で判ったがここが
富田宿の南木戸だったという。
その先の「富田」の交差点。左側の大きな家が本陣跡の和久井家と
いうが表札は別の○○家。そして街道の反対側に本陣跡碑が立つ。参考に
している先達の歩行記は間違っているのか。
しかし同じ角に立つ街道絵では本陣は間違いなく街道の左手である。
ここで助っ人が現れる。本陣碑などを撮っている私を見て散歩中の
オジサンが説明してくれる。
本陣跡は先達の歩行記通りの「左側」で、表札が違うのは本陣跡を
相続した親族がすぐ売ってしまい和久井家ではなくなったためという。
ついでにベンチで休憩してから腰を上げる。ゴールの栃木宿までは
残り7キロ。この右手数百メートルに東武日光線の新大平下駅があり、
調子が悪ければこのあたりでゴールとも思っていたが、時間はまだ1時
過ぎ、今回の最長区間だが間違いなく夕方までには栃木宿に着くだろう。
街道は宿場の鎮守に多い八坂神社の先で大きく右カーブする。この
あたりが富田宿の北のはずれ、北木戸があったという。
1キロほどで左手を並行して走っている県道11号に並ぶがすぐに
離れて行く。その角の常夜燈は頭部がなくなっている。
この先の旧道は駐車場や住宅街で寸断されているので、児童公園の
先で県道に出る。
例幣使街道は県道の永久橋(名)で永野川を渡り、その後土手下の
道となるが、車の通らない旧橋を渡りそのまま土手道を歩く。川沿いの
広々とした風景は好い。途中で例幣使街道も土手道となる。
1キロほど土手を歩いた右手の茂みの中に見える神社は川連(カワツレ)
天満宮。街道は土手を下りてこの神社に向かう。川連神社は川連城の跡。
応仁年簡に川連氏が築いた平城で、約百年後には皆川氏が占領。
その城下町は江戸時代になるとこの例幣使街道が通り、富田宿と次の
栃木宿の中継点として大いに繁栄したと言う。
ここからの例幣使街道は県道11号で2キロ先の栃木駅方向に向かう。
この続きとゴールの栃木宿は次回。