例幣使街道ウォークの最終日も中間点を過ぎ、栃木市都賀町から
西方町になる。空き地に集められた石仏群、簡素な神社(豊年神社)、
消防の西方分署を見ながら3キロほど長閑なウォーキング。
東武金崎駅入口あたりからが例幣使街道最後の宿場、金崎宿である。
早速、旅籠跡と思われる古民家。
その少し先に本陣跡の二脚門、柱が突き出ているのは珍しい。冠木門
に屋根が付いたとも言える。
長い長い本陣跡は道の反対側へ、そしてかなり離れないと入らない。
金崎宿は本陣1軒、旅籠十数軒の小さな宿だったという。
例幣使街道は旧道となり小倉橋に向かう。小倉橋が渡る思川は3年前
に日光街道を歩いた時に寄った小山城以来である。
思川を渡った例幣使街道は数百メートル土手道となった後で国道
293号に合流し、そのまま楡木(ニレギ)追分まで3キロ続く。
壬生街道沿いにもあった磐裂根裂(イワサクネサク)神社の裏手に十九夜塔
がきれいに並ぶ。左端は比較的新しい。今でも十九夜講が続くのだろう。
右手に見えるのは日光街道の杉並木、その日光街道沿いにあった
千趣会の大きな倉庫も懐かしい。
桐たんす製作所前のカエルに心が和む。柳にカエルはわかるが、はて、
桐とカエルにはどんな関係があったのか・・・。
東北道を潜ると楡木追分まで約1キロ。
あと300メートル。
あと100メートル。
ちょうど2時、楡木追分にゴール。道標は「左日光道 右中山道」。
今年の5月、壬生街道の2日目に南からここに着いた時の写真。
1キロ先の楡木駅の電車まで40分。300メートル先の駅入口交差点
を左折してゆっくりと楡木駅に向かう。遅い昼食にありつけるような
店がないことはわかっている。
無人駅のホームに上がると老夫婦が椅子に座って上り電車を待つ。
「次は44分(2時)ですね」と言うと「あー、そーなんですか」と
返事が返る。知らずに待っているらしい。何と優雅な生活。
昨夜の夕食の残りご飯で握って貰ったおにぎりを食べ終わる頃、
上り電車が着く。
約2時間後、越谷ー新越谷間の東武電車から。4日目の帰途よりも
遅いためか今日は陽が落ちた後である。