伝統的建築物が2キロあまり続いた栃木宿と次の合戦場宿の間には
東武日光線の陸橋が立ち塞がる。歩道は反対側なので階段を昇り降り
する。何故か上り83段、下り73段。栃木宿から楡木まで海抜が50mほど
上がるから、今日は全体に上り基調である。
ここは東武日光線と宇都宮線の分岐点、操車場が広がる。
戦国時代の1523年、宇都宮氏と栃木城主の皆川氏が戦った所ゆえ
合戦場である。そのせいか馬力神、軍馬霊などが付く碑が多い。
合戦場交差点の先、日立製作所の創始者である小平(オダイラ)浪平の
生誕地の石碑が嫌でも目に入る。口碑によれば小平浪平は東大工学部の
電気学科卒、秋田の鉱山会社などを経て明治43年に日立製作所を設立。
この隣が本陣跡、向かいが脇本陣跡というが面影はない。それより
真向いの米屋「中町の中屋」がいい。
2024-150=1874年、明治7年。ずいぶんと古い小学校である。
数百メートル先の升塚は、1523年の戦いの戦死者、負けた宇都宮勢
250名、勝った皆川勢60名をここの里人が一ヵ所に葬ったもの。
ちょっと頼りない石段で4mほどの塚に上ってみる。周囲にはお堂
や六地蔵、石仏などが集まっている。
このあたりの例幣使街道も一応県道3号だが、少し東をバイパスの
県道3号が走るので車は少ない。旧道に入る更に静かな道となる。
このあたりは栃木市都賀町家中、都賀町総合支所に入りトイレを借りる。
栃木宿でもコンビニは1軒、ましてや今日の行程中は一軒もないだろうと
いう予想は結果的に当たった。
東武日光線の家中駅の先、北関東道を潜ったあたりが今日の中間点。
楡木の追分まではあと7キロ、楡木駅まではプラス1キロである。
大きな枯山水風の庭園
これは梅?いや花の先が割れているから四季桜かも
北関東道から約3キロを淡々と歩いて、最後の宿、金崎宿へ向かう。
続き(最終回)は次回。