3日前の満月、月の出の7時前からずっと雲が出てなかなか丸く
撮れない。
7時過ぎ 9時前
就寝時間ギリギリの10時近くやっと丸く撮れた。5月の満月を
アメリカの農事暦ではフラワームーンという。花の多い季節の月と
いうことだろう。
さて、壬生道ウォーク2日目の続きは、円仁慈覚大師生誕の地、
壬生寺を出て本格的な街道ウォークに入ったところ。本丸一丁目の
交差点のすぐ先で右カーブする国道352号線、右だけに歩道がある。
しばらくは概ね北西への一直線、田植えが終わった田んぼや
収穫直前の麦畑が広がる風景、時折の杉並木の名残りを見ながら
黙々とひたすらに歩くが、ダンプや大型トラックとすれ違う時は
風圧に身構える。
約2キロ、北関東道を潜り上稲葉の交差点を過ぎた田んぼの中に
ポツンとあるのは「金売り吉次の墓」。奥に見える鳥居のところに
お堂があるという。詳細は口碑をお読みいただこう。
この先に西(塚)だけ残る稲葉一里塚が現れる。東(右)塚も
道端に微かな盛上がりがあるがほとんどは民家となっている。
口碑には「壬生通り」と書かれるが、壬生の街では「(日光)西
街道」と言う人が多かった。その壬生道の一里塚の一覧が書かれる
口碑は珍しい。ここは四番目、日本橋から二十四里目とな。
隣の壬生町役場稲葉出張所前に立つ大きな石碑は「鯉沼九八郎」の
顕彰碑。自由民権運動の人と言う。
歩道橋あるところ学校あり、右手奥が稲葉小学校。
雑草が生い茂る古家を見ているとスクーターに乗った年配男性が
停まり話しかけて来て、こういう空き家はタヌキやイタチの住処と
なり、防犯、防火上も問題多く困っているという。
相槌を打っていると「ここの関係者か?」と訊く。塀には不動産
会社の管理とある。街道歩きの爺が関係者であるはずがない。
日が高くなると暑くなって来る。木陰で立ったまま5分ほど体を
冷やしながら一服休憩。
北西から北へとカーブすると壬生町から鹿沼市に入る。壬生寺を
出てから5キロ半ほど。今日のほゞ中間点である。続きは次回。