今朝の信州塩尻は気温が氷点下5度、まだまだ信州の
春は遠い感じです。
今日の暦を見ますとバカヤロー解散の日とありました
バカヤロー解散は、1953年(昭和28年)3月14日の
衆議院解散の俗称であるとの事でWikipediaの情報を
紹介します。この解散に伴って第26回衆議院議員総選
挙が行われた。その経緯は、1953年(昭和28年)2月
28日、第15回国会中の衆議院予算委員会で、吉田茂
首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、吉田
が西村に対して「バカヤロー」と発言したことがきっか
けとなって衆議院が解散されたため、こう呼ばれる。
なお、「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象
を与えるが、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で
「ばかやろう」と呟いたのみで、それを偶然マイクが
拾い、気づいた西村が聞き咎めたために騒ぎが大きく
なったというのが実態である。
「バカヤロー解散」の遠因は、吉田内閣の通産大臣の
池田勇人にあり、池田が「中小企業の一部倒産もやむ
を得ない」「所得の多い人は米を、所得の少ない方は
麦を食うというような経済原則に沿ったほうへ持って
いきたい」など、度重なる問題発言を行い、野党から
通産大臣不信任決議案を提出され可決。窮地に追い込
まれた吉田が、衆議院予算委員会における執拗な質問
に該当発言を連発したものである。
質疑応答の内容
問題となった吉田と西村の質疑応答の内容を以下に示す
西村 | 「(前略) 総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか。」 |
吉田 | 「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。 (以下略)」 |
西村 | 「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳を承っておるのではない。 (中略) イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、 (中略) 日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。 (中略) やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります。」 |
吉田 | 「ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります。」 |
西村 | 「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか。」 |
吉田 | (無礼なことを言うな) |
西村 | 「何が無礼だ。」 |
吉田 | (無礼じゃないか) |
西村 | 「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。国際情勢の見通しについて、 (中略) 翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ。答弁できないのか、君は……。」 |
吉田 | (ばかやろう) |
西村 | 「何がばかやろうだ。ばかやろうとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、ばかやろうとは何事だ。取消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある。」 |
吉田 | 「……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取消します。」 |
西村 | 「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取消された上からは、私は追究しません。しかしながら意見が対立したからというて、議員をばかやろうとか、無礼だとか議員の発言に対して無礼だとかばかやろうとかと言うことは、東條内閣以上のファッショ的思想があるからだ。静かに答弁しなさい。 (以下略)」 |
上記のうち後半の「総理大臣は興奮しない方がよろしい」
から「何を私の言うことに興奮する必要がある」までの
部分は、西村の一回の正規発言となっている。質問席で
正規発言をしていた西村に対して吉田が自席から合いの
手を入れるように不規則発言を行い、互いに相手の発言
に反応して言い争いとなったものである。
その後
直後に吉田は発言を取り消し、西村もそれを了承した
ものの、この失言を議会軽視の表れとした社会党右派は
吉田を「議員としての懲罰事犯」に該当するとして懲罰
委員会に付託するための動議を提出(この背景には鳩山
一郎・三木武吉ら自由党非主流派の画策があったといわ
れる)。3月2日に行われた採決に際しては、自由党非主
流派ばかりか野党の改進党で吉田側と協調姿勢を見せて
いた大麻唯男らの一派が欠席したことで動議の可決は
微妙と見られていたが、主流派と見られていた広川弘禅
農相らの一派も欠席(この欠席を理由に広川は農相を
罷免された)したため懲罰委員会への付託動議は可決
された(その後、懲罰委員会は開かれたものの、委員会
としての決議は出ぬまま衆院解散により廃案となった為
本会議場における懲罰は科されていない)。
さらに追い討ちをかけるように内閣不信任決議案が提出
され、先の懲罰事犯の委員会付託動議採決で欠席した
自由党鳩山派30余名が脱党し不信任案に賛成したため
に3月14日にこれも可決。これを受けて吉田は衆議院を
解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われる
ことになった。
その結果、自由党は大敗、かろうじて政権を維持した
ものの少数与党に転落し吉田の影響力は急速に衰えて
いった。これが吉田退陣につながる。
晩年吉田はその回想録の中で「取るに足らない言葉尻
をとらえて」不信任案に同調した与党の仲間を「裏切り」
と糾弾し、「当時起こった多くの奇怪事」で最大のもので
「忘れる事が出来ない」と述べている。
私の幼い頃の事なのですが、なんとなく政治の世界は
昔も今現在も・・そんなに変わらないと・・石破さん
はそのような失言は無いと思われますが、与党内では
密かに石破おろしの動きがあるとも聞超えてきます。
今年は、参議院の選挙があります。石破内閣の支持率は
日経新聞によれば・・
さてこれからどんな政治となるでしょうか・・・
今日も午後から先月見学した国会議事堂の中では今年
の衆議院予算審議が開催されます。2月も最終日です
残された日程は少ない。
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