じんべえ時悠帖Ⅱ

「マルシェ」という名の縁日

 今年最初の日光街道ウォークは、茨城県古河市の「中田宿」

だった。現・利根川河川敷にあった中田宿と共に内陸に移転

した「鶴峯八幡宮」の文字を朝刊で見つけた。

 十二世紀に鎌倉の鶴岡八幡宮を分霊したという古い神社で、

ここで舞われる「古河神楽」の日は縁日も開かれて賑わって

いたが、年々見物客が減りコロナも追い打ちをかける。

 これを打破しようと、神楽の日の縁日を「マルシェ」と

カタカナに読み替え「つるマルシェ(鶴市)」とし、今週の

日曜日に開催されるという。さて「カタカナ効果」は如何。

 そういえば、東日本大震災後の石巻、気仙沼などでも

「復興マルシェ」があった。

 

 さて、今日の本題は日光街道ウォーク小金井宿である。

 JR宇都宮線の小金井駅から西に向かい国道4号を越えて

細い旧街道を歩くと間もなく小金井一里塚に突き当たる。

江戸から二十二里目の一里塚である。

 国道側に回りこむ。石垣はないが東塚、西塚ともしっかり

残るのはひっとしたら日光街道では初めてかもしれない。

ここで旧街道は途切れるので国道を歩く。

 このあたりから小金井宿が始まり、数百メートルで前回

の羽川薬師堂の親寺である慈眼寺につく。十二世紀初めの

新田義兼の開基という古刹で、門番よろしく布袋像がデン

と座り、その奥に二十三夜塔、十九夜塔などが並ぶ。

 明治初年の大火で鐘楼と観音堂以外は消失、本堂は戦後に

再建されたコンクリート造。

 その観音堂には弘法大師作と言われる千手観音像などが

安置される。

 隣の金井神社は江戸中期にここに移った小金井宿の鎮守。

社名は「黄金湧く井戸」から来ている。慈眼寺も金井神社も

桜満開、いい時に来た。

 この先の大越家が小金井宿の本陣のはずだが、これだけ?

と思ったら、しっかりと古い門があった。

 国道の向かい側に土蔵造りの旧呉服屋があるが、脇本陣や

問屋場、高札場などの情報は無し。

 小金井交差点の奥の連行寺は、徳川将軍の日光詣での折、

宇都宮城主がここで出迎えたという寺。門を眺めるだけ。

 1キロ半ほどで下野(シモツケ)市役所。今日の石橋宿までの

行程は須らく下野市内である。平成18年に3町が合併して

下野市となった。新しそうな庁舎は数年前の竣工という。

 すぐ先の右手が「自治医大駅」。昭和の終わりごろ、まだ

国鉄の時代に開業した駅で、東口の自治医大、住宅団地への

アクセス駅である。

 今日の宿間(駅間もほゞ同じ)の距離は7キロ半と短め

なので、ちょっと長い寄り道で「下野薬師寺」に向かうべく

自治医大方向に向かうアンダーパスを潜る。

 この続きは次回。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
ここまで概ね宿場通りを迂回して国道を通していましたが、新田、小金井、石橋と
いずれも4号沿いです。
大学時代、一度だけ同郷の友人の車で4号を走ったことがあります。
工事店の御曹司、コンバーティブルのスポーツカーでした。
今ならスピード違反切符を20枚ぐらい切られているでしょう。
ykoma1949
小山市からすぐのところの 小金井宿 ここも何度か通過している
はずですが、記憶には残っていません。
日光街道も残り少なくなって・・のんびり周遊してください
Wikで検索しますと、何度もこの小金井宿の管理監督が代わって
いるという事は、何か曰くがありそうな気がします。
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