首里城焼失の衝撃と共に、突然の大きな変更が二つ続いた。
東京五輪のマラソンコースの札幌への変更は「アスリート・
ファースト」の前に、小池知事も「合意なき決定」と精一杯の
皮肉を言うしかない。
浅草雷門近く、別府の竹細工職人たちが十ヶ月かけて作った
涼感オブジェも無駄になった。
もう一つの民間英語試験の見送りも「受験生ファースト」の
精神なのだろうか。単なる失言の幕引きとも思える。
さて、熊谷から出発した中山道ウォーク。八木橋百貨店から
国道17号を離れて裏道となる。最初の商店街は、朝早いせいか、
昼間でもそうなのか、皆シャッターが閉まる。
旧中山道から少し入ったところの松岩禅寺(臨済宗)に寄って
みると、門前の松の脇のお釈迦様?が何ともユーモラス。
この裏道も数百メートルで再び国道17号と合流。すぐ先の
秩父道の分岐点にあった三つの道標が、石原公園内にあると
言うので探してみる。
分岐点を間違えたことで、東武熊谷線跡地という長い公園
の奥から探したため、国道17号近くの道標を見つけるまで
ずいぶんと時間がかかる。
脇の説明によると、それぞれ、秩父一番札所の四万部寺、
三十四番の観音霊場、長瀞の宝登山を指すと言う。
レンガ色の西熊谷病院の先の熊谷警察署交差点の手前に
釣鐘のような白い花が目立つ。花音痴なので帰ってネット
検索すると、どうやら、アツバキミガヨランと言うらしい。
この大きな交差点は、秩父へ向かう国道140号線、足利市
へ向かう407号の起点でもある。スタートした熊谷駅からは、
まだ3キロ地だが2時間経過。先が思いやられる。
旧中山道が再び国道17号線を離れる分岐点は、増田屋と
いう蕎麦屋が目印である。これなら間違いない。
分岐して間もなく新島一里塚。樹齢300年のケヤキが
残っていたが、平成22年の落雷被害で上部を切り落とした
とガイドブックにあるが、今は根元だけになっている。
このすぐ先の左側に「忍領石標」。新島一里塚の南北に
あったと言うが、南側の石標は行方不明と言う。
家並みが切れ、遠くに貨物ターミナル駅とその跨線橋が
見える。国道17号線が近づく頃、ある表札を発見!
埼玉県議会に「百条委員会」が出来た農地転用不正疑惑
の発端となったお役所である。
管理部長などが「農転に問題なし」として、一種(優良)
農地を、不正手段によって最終的には大手スーパーの店舗に
転用する、一連の「商業支援」をしてしまった。
このセンターがある敷地も膨大な面積である。
この農業支援センターが切れるところで、旧中山道は
国道17号線を、浅い角度で斜めに横断する。
ここが今日の行程の1/3地点。続きは次回。