下の図は、昭和55年に発行された「日本の河川」にある、
見開きでA3の大きな図である。
「川だけでかける(描ける)」の通り、外形線がなくても
日本の姿が浮かび上がる。それほど日本には川が多いと言う
ことである。
副題に「日本の文明を育んだ河川」とあるが、防災の知恵は
あまり育んでいないように思える。この本には多くの風光明媚
な写真もあるが、洪水の写真も多い。
台風19号の上陸から一週間。被災地や被害の全容を把握
出来たのだろうか。
多くの冠水地域でハザードマップ通りの冠水となった。
また、支流の「バック・ウォーター」現象は、都市部でも
簡単に冠水する原因となった。
今しがたも千葉県で一時間に110ミリの雨が降っていると
いうテロップが流れた。
上の日本の河川図を見ながら、改めて河川列島、災害列島
に対する抜本的な対策が必要だという気がしてくる。
さて、今回の被害地の一つ、上田電鉄別所線の千曲川鉄橋
落下の現地を見た後、この日二つ目の墓参に向かった。
両親が眠るのは上田市の隣り、埴科郡坂城町の禅寺。
千曲川左岸の上田と坂城の境界は、通って来た奇岩の半過
(ハンガ)岩鼻。右岸にも同様の下塩尻岩鼻がある。
乗って来たしなの鉄道の下り電車を見送る先、山並みの
麓に禅寺がある。左端の葛尾山は、信濃に侵攻した強力な
武田軍を二度も追い返した、村上義清の居城、葛尾城が
あった山である。三度目に落城した。
駅前から真っすぐ山に向かう道は昔の北國街道である。
坂木宿本陣など、宿場町の古い建物が残る。
突き当りの坂城神社の脇から更に上ると、菩提寺の禅寺に着く。
古い山門は今にも崩れそう。曹洞宗大英禅寺である。
本堂の裏山の一番上にある墓まで、墓地脇の車道を息を
切らせて上ると、車回しの広場の手前の樹が折れている。
墓参の後の戻りは墓地の中の小道を降りる。台風で散った
折れ枝に左足を取られ、踏ん張った右足が浮石を踏んで捻挫。
台風の被害者となった。
痛む足を引き摺って戻った坂城駅に、しなの鉄道運行状況
が貼られる。上田ー田中間が不通。逆方向だったら、この
坂城には来られなかった訳だ。
坂城から長野に出て、臨時ダイヤの新幹線で帰途に就く。