じんべえ時悠帖Ⅱ

足尾銅山訪問記(1)

 足尾銅山から排出された亜硫酸ガスによって、周辺の山々は

一木一草もないハゲ山となって荒廃した。

 その山々への植林が始まってちょうど半世紀経った2010年、

当時参画していたNPO失敗学会のイベントで、足尾銅山跡地を

訪れた。足尾に住む会員であるA氏のガイドである。

 早朝、チャーターバスで池袋を出発し、10時に渡良瀬渓谷

鉄道の終点、間藤(マトウ)駅に着く。2010年10月10日の10時

と「10」尽くしである。

 「森よ、よみがえれ」掲載の地図の右上、「日足トンネル」

を抜ければ中禅寺湖である。

      

 ガイド役のA氏を拾い、渡良瀬川を少し遡ると製錬所跡

に着く。シンボルの備前楯山が荒々しいを岩肌を見せる。

 更に上流の「銅(アカガネ)親水公園」から眺める足尾ダム。

「森よ、よみがえれ」(秋山智英著、1990年刊)の口絵の

写真と同じアングルである。

 

 下はその口絵の写真(再掲)だが、滝の色がかなり違って 

いる。もちろんこの時は「森よ、よみがえれ」には出会って 

いないので、その違いを知る由もなかった。

 植林が進んだ久藏沢からの流れは清流になったが、植林が

手付かずだった松木沢からの流れは濁流であった。それから

20年たった2010年に見る滝は、ほぼ清流に戻っている。

 公園の一画にある「銅橋」の欄干。銅製品である電気分解の

電極、アノード板(あるいは耳銅)の形の中に、足尾町の町獣

であるニホンカモシカ、町木のシラカンバが描かれる。

 久藏沢、松木川、仁田元沢が集まった、この足尾ダムが

渡良瀬川の源流である。

 この後、独ジーメンス社から足尾銅山に導入した、日本で

最初の水力発電所の名残、直径1メートルの鉄管などを見学

しながら渡良瀬川沿いを下る。

 足尾銅山跡訪問記、続きは次回としよう。





 


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コメント一覧

jinbei1947
田中正造が政治生命をかけて天皇に直訴して、国の無策を
批判した日本で最初の公害でした。
ピーク時には県都宇都宮よりも大きな街になった足尾には、
大相撲や歌舞伎の公演も行われたそうです。
今の人口は当時の十分の一程度です。
ykoma1949
>>足尾銅山から排出された亜硫酸ガス<<
近隣の山を枯らすほどの 毒性のガス??
ならばこの工場で働く人や近隣の住民や
近くの農家の皆さんも相当な被害を被った
それが足尾鉱毒事件になっていくんですね
精錬しなければ・・有毒ガスは無い・・
とすれば 土はさほどの毒性はなかった
ということでしょうね、続きが楽しみです
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