じんべえ時悠帖Ⅱ

秩父観音巡り、四日目

 三日目の紹介をダラダラと3回もかけてしまった。今回はやっと

4日目(10月21日)分である。サラッといけるかな?

 7時半、秩父鉄道の大野原駅を出発。予報通り6~7℃くらいか、

「いと涼し」である。4日目は主に荒川左岸のお寺さんを巡るが、

荒川を源流まで歩いた時に通っているところが多い。

 通勤の車がビュンビュン飛ばす幹線を逸れると、頼りない小道を

幾度か折れるが例の標識のお陰で無事、最初の十九番龍岩寺に着く。

楚々とした境内、龍石寺の本堂は岩盤の上に建つ。

 半世紀前、荒廃した龍石寺を再建したのは地元の青年たちだった。

巡礼姿で東京に出て浄財を募った。現在ならグランドファンディング

という手がある。裏に回るとその岩盤がよくわかる。

 巡礼古道を辿って荒川に出て旧秩父橋を渡る。隣は斜張橋の新橋で

旧橋も歩行専用で残る。橋桁や路面などを改修中だが通行可能。

 橋の袂から上の県道に上がる車、降りて来る車が多く、苦労して

車道を渡り、次の二十番岩之上堂に向かう。荒川を渡った船着き場

からの古道は閉鎖されう回路の急坂となる。

 鄙びた道を辿って着いた岩之上堂は、荒川の畔の岩の上に建つ故、

道から屋根を見下ろし石段を下る。平安末期、白河上皇の発願の寺で、

願上寺と名付けられた荘厳な堂宇を誇ったが、応仁の乱の頃から廃れ、

武田軍に焼かれた。

 今のお堂は江戸中期、内田氏の再建。以降屋根の銅板への葺き替え

など改修・補修を繰り返して維持しているという。茂みが濃く、堂宇

全容が撮れない。

 秩父各札所の華やかな花飾りは秩父夜祭屋台のもの。天井びっしり

の千社札には圧倒される。昔から長い「自撮り棒」があったのだ。

 庭園の東屋で早寒い早朝用の上着とダウンのベストを着替え、次の

二十一番に向かう。昨日まで間近に見ていた武甲山、今日は荒川越し

で遠くなる。この先で県道72号に出ると二十一番観音寺はすぐである。

 県道沿いの観音寺、通称は「矢之堂」。元々ここは八幡宮だったが、

邪神悪魔を追い払うため仏地にせよと八幡大菩薩が放った矢がここに

落ちたという説から来ているという。

 今までは「秩父三千女」の観音霊験記の額絵だが、ここの額絵には

「宮側三千女」となっている。宮側町は秩父駅近くの街中。奉納した

三千代の住処なのだろうか、他にも「宮側」バージョンがあるのか。

 次の二十二番童子堂までは1キロ半とちょっと長めの行程。県道72号

は次第に標高を増していく。長袖シャツの袖をめくるほどの快晴の下、

坦々と歩を進める。頭の中は空っぽである(やっぱりと言う声が)。

 続きの二山は次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

えめ
家に清掃会社が入って半日がつぶれ、夕方になってパソコンを開きました。そこで肝腎の秩父について、長野県の信濃の国に該当するものとばかり思って居ましたところ、埼玉県は武蔵の国の一部分であり秩父はその中の一つの市であることを知りました。書いてあることも埼玉県は長野県と違って一杯色々あり、到底一度では学習しきれません。地理という学科が無かったので、無学で恥ずかしいです。明日から、少し集中して勉強致します。くれぐれもお体お大事に。
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