じんべえ時悠帖Ⅱ

京都「西寺」の五重塔

 京都の東西の通りの名を北から詠んだわらべ唄「丸竹夷」

を先日紹介したが、その最後は「九条東寺でとどめさす」。

 東寺があるなら「西寺」もあったはず。確かに朱雀大路を

挟んで東寺と対称の位置に「西寺跡」の公園がある。

 そこに、東寺と同じ五重塔の礎石跡が発見されたと朝刊が

報じる。これによって西寺も東寺とまったく同じ規模で、

堂宇の配置も左右対称であったことが確実になった。

 東寺に比べ、この西寺のあった右京は水はけが悪いため、

平安の末期にはあまり人が住まくなったので廃れたのでは

ないかと言われる。 

 京都に単身赴任していた頃、この西寺跡から西へ500m

ほどのところに住んでいたので、九条通りを歩いて東寺の

中を一回りするのが散歩コースであった。

 以下、昨年久々に京都を訪れた時の東寺のスナップである。

 東門前、真言宗の開祖、空海(弘法大師)が天皇から下賜され

「護国寺」となった。

 五重塔の定番ショット。東寺の五重塔の構造はあのスカイツリー

に応用された。先端の高さは約80m、北大路の標高と同じである。

 南大門から見た金堂。境内の見物客は須らく中国人であった。

 九条通りから堀、土塀、南大門、五重塔を望むこのショット

も好きだ。数々の戦乱にも耐えたどっしりとした土塀は「版築」

と言う古代の工法で造られている。

 最後は国道1号線を渡る歩道橋から。東山の奥は、近江との

境に聳える千頭岳(標高ジャスト600m)。


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コメント一覧

jinbei1947
すぐ近くに住みながら西寺跡には行ったことがありません。
東寺へ向かう途中の羅城門跡も小さな広場に碑が立つだけです。
東寺のように形が残る、ということとの差ですね。
西寺の再建、ロマンですね。
でも跡地の多くが住宅街になっていますから、大変です。
ykoma1949
東寺・・私も、豆腐屋に寄りながら行った
ような
東寺の別なお店は、若い者たちと数回・・失礼、
西寺・・という発想はありませんでした。
言われてみれば、なるほど・・今更発掘して
再建は無理でしょう。
新幹線からいつもこの五重塔がちらっと見えて
すると新幹線のすぐ脇のようなところに西寺ですね
あそこなら再建しても新幹線は徐行するところ
ですから・・影響ありませんよね
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