台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

777 ブログ777 現在の貧乏と昔の貧乏の違い。

2013-10-15 15:04:32 | 台湾
それは、簡単です。
昔との貧乏には、「希望」がありました。
いまの貧乏には、余り希望がありません。
 貧乏を望む人は、いません。
 誰だって、かねもちの家に生まれたい。食べたいもの、買いたい物、大学行きたければいける家が良い。けど。子供は、親を選べません。
 子供の時、貧乏でも大人に成れば、そこから抜け出せる希望が・・・。
現代の貧乏には、それがありますか?

1度非正規社員になると、ずーと。そのまま。
同じ仕事して、何でそんなに、「給料」 「ボーナス」が・・・。

 その身分は、変えられないとしてら、江戸時代と全く同じ。

 何で、400年も前の制度が復活するのか?

これは、誰が作った制度。誰かが得をするため。

 私には、・・・。いまの若者が気の毒でなりません。


私の言っていること間違っているでしょうか?

現在の貧乏と昔の貧乏の違いです。

再見。

776 776 ブログ776 本当の貧乏とは、・・・。

2013-10-15 10:47:31 | 台湾
私は、子供の頃、貧乏でしたが、本当の食べるもに困る貧乏は、知りません。

私は、もし、奥さんや子供を食べさせられないとしたら 、何でもすると思います。
法律に触れるようなことは、できません。
 なまじ教師していただけに、肉体労働は、あまり得意ではありません。
けど、何とか食わせるぐらいのお金は、作れると思っています。

 なんでも。石の上にも三年。
わたしは、十一・十二・十三と3年間。
新聞配達しました。
 そりゃ・・・・。寒く、眠く、・・・・、しもやけ・あかぎれとの闘い。
これが最高の貧乏でした。当時は、新聞配達休み問のは、有りませんでした。正月だけ。

 子供がどうして三時に起きられたのか?
それは、最初の内は、お袋がたたき起こして、くれました。
何度も何度も眠い目をこすって、起きました。
正気になると、「よし。今日も一日頑張るぞー」と言う気になっていました。
それも。親父お袋の苦労を見ていたから。
兄貴。次の兄貴。三番目の兄貴。
兄貴達のできる事が俺にできないわけ無い。例え末っ子でも甘えては、ならない。
 私の一番貧乏は、三畳一間に六人の子供が寝ていました。それにお袋。
この空間が最も狭い空間に生活していました。それでも、ひもじい思いは、ありませんでした。狭いだけ。母親の愛情は、常に感じていました。耐えられないことは、余りありませんでした。雨漏りも、今となっては良い想い出。トイレの無いことも。
 結構環境に耐えられるものです。順応する力を持っているものです。新聞配達している頃は、とくに何になりたいという希望も何もありませんでした。だから、そたすら早く起き、三時間の労働に耐えるだけ。学校へ通っていましたが、勉強は、したことは、1度もありませんでした。

 初めて、勉強したのは、中学2年夏から。それからは、勉強もしてれば楽しいものでした。わかったからだと思います。やればやるだけ、成績が上がり、張りがあったのだと思います。それから。五・六年は、必死に勉強しました。そして。結果的に教師の道へ。
それからは、貧乏とは、まったく縁がありません。
 わたしは、思うのです。人は、環境によって変る。私が勉強せずにそのまま新聞配達していれば、全く違う仕事に就いたことでしょう。
貧乏は、人を鍛えるか。わかりません。ただ、我慢する力だけは付くように思います。それと、多少恥ずかしい労働でも、お金のために、やれる。貧乏は、タカラのように言う人がいます。けっして、自分が望んで貧乏なわけではなく、そうならざるを得ないだけです。親を選んで子供は、生まれてこられません。「運命」です。中国語では、「ミンウン」「命運」と書きます。それぞれのミンウンがあるだけです。
 一つだけ良いことは、人の人情だけは、わかるのは、貧乏のお陰です。
生きることは。多くの人の支えによって成り立つと言うことを子供時代に身を以て体験したことは、とても重要なことでした。
 現代社会の貧乏と又違うように思います。それについては、後日また。
 では、また。
再見。