台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

785 ブログ785 だんだん、台湾の実情が+++

2013-10-18 17:32:49 | 台湾
日本も台湾も同じです。大学は、出たけれど・・・・。食えない人がたくさんいるようです。台湾の大学進学率が高いせいもあると思いますが、食えない人がたくさんいるようです。
 私の生活していた時代では、考えられないことです。
台湾では、公務員人気があり、もう何年も勉強し居る人がたくさんいます。
現在、30代。女の人・・・、大学卒業以来、アルバイトは、少ししたようですが・・。
大部分は、試験勉強。
果たして、公務員がそんなに値打ちがあるか、私には、わかりません。
彼らが好きでやっていること、他人の私がとやかく言うことではない。
 けど、試験勉強にそんなに値打ちがあるのか。
もし成れなかったら、・・・・。若いときの時間を他のことに熱中したら、もっと有意義な人生を送れるのではないかと。
 人のそれぞれの人生。まして、外国人の私が彼らの夢中になってやっていることをケチ着けるわけには、いかない。人生色々。

 わたしは、思うのです。実社会に出て、勉強するのが本物。
勉強することが、実社会に役立つ。大学や公務員試験のための勉強は、理論・法律。
こんなものそんなに役立つとは、思えません。日本では、教頭・校長になるひとは、法律をよく勉強させられるようです。けど、それは、あくまで知識。実際法律を振りかざす管理職にろくな奴が居なかった。それも事実。法は、生の人に役立ってこそ法律。
運用する人が、法律通りだったら、そんなに意味ありません。
人の役に立ってこそ、法律も意味あるのです。

 台湾の若者もこう見ると、そんなに幸せでないのかもしれません。正確には、私もまだわかりません。もちろん、しっかり自分の夢を追い続け生きて居る方もたくさんいると思います。たまたま新北市の図書館で知り合った若い3人組に話を聞いただけですから。
 若い頃は、何でも真剣に勉強するものです。それがのちのち大きな財産になることが多い。二十代、三十代。時として、四十代。
 「鉄は、熱いうちに打て」
この言葉の通り、若いことは、大きな財産。60代の私が言うのも変ですが、何でも
目標を見つけ努力すると、結果が失敗でも後悔しません。真剣にやれば、何か残るものです。
人生とは、面白いものです。そのおもしろさを実感しながら、勉強する人は、大成します。勉強と言っても、紙の上では、無く実践。何か経営するのも、事業するのも・・・。たくさんお金が掛かり、失敗したら、借金が残るかもしれません。それも勉強。
人生の勉強材料は、無限。
 台湾の人も日本人も、色々なことにトライできる内が華。
青春時代です。わたしも。
再見。

784 ブログ784 台湾で、卓球ができたら・・・。

2013-10-18 17:29:39 | 台湾
私がよく行く公園で、公民館があり、よく卓球をしています。
いつも見ているだけ。
「我可以、参加嗎」と言いたいのを我慢してみています。
おそらく私が言えば、「可以」と言ってくれそうなのですが

 なかなか言う勇気がありません。

同じ様なことが、図書館でボランティアで「日本語を教える講座」を作りたいと思っています。お金は、取りません。
日本語の基礎の基礎。「あいうえお」とか挨拶ぐらい。内容は、相手の進歩で変えて行けばいいだけ。ただ、どこまでやってどこまでという見通しがありません。だから、していない。
それと、台湾に居るなら
 、又一月から、自分が学校へ通おうと思っているから・・・。
躊躇しています。

 すべて、自分の思い通り行かせるわけには、行きません。

 どこかで台湾の人とのつながりを持って行きたいと思っているだけです。
人とひとの「絆」は、いつどのように作られるか。
ちょっとした糸なのです。
 りゅう先生とも、知恵先生とも同じ様な「きずな」です。 いつまでも大切にしていきたいという思いは、あります。

これから、どのように人とつきあうかは、今後の生活次第。
1度結んだ「絆」は、大切にしていきたいとも思っています。

再見。

783 ブログ783 日本の先生の残業が月100時間

2013-10-18 17:22:29 | 台湾
学校の先生は、昔から、残業は、当たり前。
特に、中学校で部活道を持った先生は、いつも土・日がありません。
現在は、部活動手当と言うのがでます。埼玉では、私の当時、三時間以上して1600円位。一時間500円位。毎週毎週やるから、二万円位成る人も居ました。一日すると。いくらだったか覚えていません。こうなったのは、つい最近。
それまでは、ただ働き。
 教師の給料は、他の公務員より、何%か良くなっていたように思います。
「人材確保法」とか言う法律で、それが現在どうなったかしりません。
 教師の仕事は、そう言うものだと思っていました。
土曜日も、日曜日もない、学校の仕事に追いまくられる。
土曜日が無くなったお陰もあります。土曜日が授業が無くなった分、平日が全部六時間になり、会議等できる日は、月曜日ぐらい。大体中学校教師になるひとは、そう言うものだと覚悟していました。
バスケット・テニス、卓球・柔道など今まで持ったことのある運動部。
もう練習のため、土日の半日は、練習。特に集団競技は、練習が多い。子供のためと諦めていました。
 「好きで成った仕事」だから。
好きなことには、我慢出来るものです。
こういう部活動は、いいほう。今日の仕事の中には、PTAと言うのもあります。
この仕事には、手当も何もありません。
夜会議したり相談する、もちろん、それを手伝うのも教師。程度問題が人によって違います。私は、PTA全部を統括していたから、一番大変な広報を援助しました。
 夜の会議は、少ししんどい。ただ、これも仕事と思いやっていました。どんな仕事にも「裏方」は、つきものです。どのようにしたら改善できるのか?
昼間会議できれば、・・・・。けど、今日のように、共働き時代には、ほとんど難しい。
 ま、誰かがしなくては、いけない仕事。私は、教師生活最後の学校で、PTAを四年間担当しました。もちろん報酬は、ない。正にただ働き。
今世の中で「ブラック企業」という名前で出て居ますが、学校もその一つ。
もちろん、すべての先生がそうなるのではなく、何割かの先生がたがそうなる宿命。
それと、もしかしたら働いている人が喜んでいる場合もあるかもしれません。残業が当たり前の会社が増えているような気もします。
 「資本家と労働者」「企業と労働者」二つの対立軸で考える事もできなくなっているのかもしれません。
 「教師と学校」も同じ。とくに、工場ではないので、相手が生きて活動する「人間」を育てるところだから・・・。普通の労働者という意識では、仕事ができません。
 ま。他の仕事にない喜びがたくさんあるから、我慢出来るのです。
自分の子育て期に学校の先生を迎えた方は、大変です。自分の家庭生活も忙しい、学校も忙しい。それこそ戦争です。一日が30時間ぐらいないと、やっていけません。
 つくづく、私の奥さんは、偉い人だと思う。
ま。もうその教師生活も終えました。きっと、いまも学校は、相変わらずいそがしいんだろうなーと思う今日この頃です。
再見。