子育ては、時代によって全く違ったもの。
私の家は、六人兄弟。
子供を育てるのが一杯一杯。教育なんてものは、そんなに大事にしていなかった。
子供が元気に働ければいい、それだけ。
勉強しろとも言われたことがない。昭和30年代の話。1950年代~1960年。
まだ食うのに困る時代。
子供が一時間内職して、50円稼いでいた時代。兄貴達は、100円。
ラーメンが20 円から30円。コロッケが五円。卵か一個六円50銭。まだ一円以下の値段がありました。銭という単位が。二個買えと一円安い。もちろん、50銭銅貨は、ありません。紙芝居が五円、十円の時代。まだ、十円貰うと嬉しかった時代。
駄菓子やに十円で駄菓子を買うのが贅沢な時代。
そんな貧乏の時代には、教育は、二の次。
まずは、お金を稼ぐ事が一番大切。お金のありがたみは、知って居るつもりでしたが・・。
わたしは、末っ子で、姉や兄の様に本当の貧乏は、知りません。
兄貴達は、中学校でて、働きながら定時制へ行っていました。それが当たり前と思っていました。私には、定時制に行けと言いませんでした。
好きなようにさせてくれました。この自由に生きられたのが一番でした。
だから、私自身は、あまり、正確には、貧乏わかりませんでした。
塾へ行くとかないけど、それで充分。一つだけ嫌なことがありました。それは、中学校の教科書が兄貴のお古。これは、とてもとても恥ずかしかったです。みんなと少しページが違うことや、兄貴の悪戯書がかいてあることもあり、みんなが開いたのに、いつも教科書を開いていました。今は、教科書無償だから。
教科書一冊300円位で、全部買うと、二三千円。それがもったいないと言うので、代々「お古」いま、そう言うことを知って居る人も居ないと思います。
制服は、買ってもらったに思います。
兄貴達は、小学生四年生か、五年生でみんな新聞配達。みんながやっていました。
ひと月、二千円か、三千円ぐらい。当時公務員の給料が一万は、行っていない時代。
子供が二三千円稼ぐのは、大変なことでした。
私には、これが当たり前。みんな近所にも貧乏な人がたくさんいました。
その当たり前は、私の周辺だけのようでした。後で、同級生に聞いても、そんなことナイト。へーと驚いたものです。
だから、人間の感覚というのは、時代や環境で全然違うのだと言うことが良くわかりました。この貧乏のお陰で、兄弟は、みんな働き者になりました。わたしが一番怠け者。
私らの親は、子育てより、日々の暮らし。毎日、食べさせることに一生懸命来ていたように思います。私らは、その親の苦労、背中を見て育った。
私は、子育ての苦労を論じることができない人間です。ほとんど奥さんに任せっきり。
彼女のやりたいようにしていただけです。たくさん私のことで苦労を掛けました。
子育ては、私に比べれば、苦労と言えないかもしれません。
ま。そのはなしは、後で。
再見。
私の家は、六人兄弟。
子供を育てるのが一杯一杯。教育なんてものは、そんなに大事にしていなかった。
子供が元気に働ければいい、それだけ。
勉強しろとも言われたことがない。昭和30年代の話。1950年代~1960年。
まだ食うのに困る時代。
子供が一時間内職して、50円稼いでいた時代。兄貴達は、100円。
ラーメンが20 円から30円。コロッケが五円。卵か一個六円50銭。まだ一円以下の値段がありました。銭という単位が。二個買えと一円安い。もちろん、50銭銅貨は、ありません。紙芝居が五円、十円の時代。まだ、十円貰うと嬉しかった時代。
駄菓子やに十円で駄菓子を買うのが贅沢な時代。
そんな貧乏の時代には、教育は、二の次。
まずは、お金を稼ぐ事が一番大切。お金のありがたみは、知って居るつもりでしたが・・。
わたしは、末っ子で、姉や兄の様に本当の貧乏は、知りません。
兄貴達は、中学校でて、働きながら定時制へ行っていました。それが当たり前と思っていました。私には、定時制に行けと言いませんでした。
好きなようにさせてくれました。この自由に生きられたのが一番でした。
だから、私自身は、あまり、正確には、貧乏わかりませんでした。
塾へ行くとかないけど、それで充分。一つだけ嫌なことがありました。それは、中学校の教科書が兄貴のお古。これは、とてもとても恥ずかしかったです。みんなと少しページが違うことや、兄貴の悪戯書がかいてあることもあり、みんなが開いたのに、いつも教科書を開いていました。今は、教科書無償だから。
教科書一冊300円位で、全部買うと、二三千円。それがもったいないと言うので、代々「お古」いま、そう言うことを知って居る人も居ないと思います。
制服は、買ってもらったに思います。
兄貴達は、小学生四年生か、五年生でみんな新聞配達。みんながやっていました。
ひと月、二千円か、三千円ぐらい。当時公務員の給料が一万は、行っていない時代。
子供が二三千円稼ぐのは、大変なことでした。
私には、これが当たり前。みんな近所にも貧乏な人がたくさんいました。
その当たり前は、私の周辺だけのようでした。後で、同級生に聞いても、そんなことナイト。へーと驚いたものです。
だから、人間の感覚というのは、時代や環境で全然違うのだと言うことが良くわかりました。この貧乏のお陰で、兄弟は、みんな働き者になりました。わたしが一番怠け者。
私らの親は、子育てより、日々の暮らし。毎日、食べさせることに一生懸命来ていたように思います。私らは、その親の苦労、背中を見て育った。
私は、子育ての苦労を論じることができない人間です。ほとんど奥さんに任せっきり。
彼女のやりたいようにしていただけです。たくさん私のことで苦労を掛けました。
子育ては、私に比べれば、苦労と言えないかもしれません。
ま。そのはなしは、後で。
再見。