台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

798 報復社会が来ているのでは、・・・・。

2013-10-22 16:21:57 | 台湾
 半沢直樹の名台詞「どげ座しろ」
            「倍返し」この台詞が正しいと思いますか?

こんな台詞に踊らされて、いつの間にか、ありとあらゆるところで、「土下座しろ」と。要求する人が出てきました。これは、まさに 、ドラマの影響。

私は、「半沢直樹」を見て、余り良い気持ちになれませんでした。どうして?
根底に「怨念」があるからです。
「怨念」は、人を幸せには、しません。

 「怨念」には、再び「怨念」。つまり、復讐社会が待っていまいます。

これが社会のあり方として、正しいわけ有りません。
ドラマの背景には、この現在の社会では、満たせないたくさんの国民の『怨念』があると思います。だから、現代も、決して良い時代ではありません。

私は、昔の人間です。こういう社会は、好きではありません。昔のように、「義理と人情」「感謝と感動」そういう人間の方が好きです。
どうも、私の願っている方向と日本の社会がずれているように思います。

 どうしてでしょう。経済も・・・。それより人間ゆたかに成りすぎているのでは・・・。豊かすぎると、「感謝」とか『感恩』がありません。
豊かな社会の病理。どのようにして解決するのですか?

それは、とても難しい。1度、便利社会に入った人は、不便には、戻れません。
時代の流れを感じますが、防ぐ方法は、・・・。家庭でお母さん・お父さんが賢く生きるしか、子供に伝わりません。
余程、上手に子育てしないと・・・。物質全盛時代、こころが中々育ちにくい。むずかしい時代に入りました。
私も各論の所は、わかりません。

 それと、人間が「怨念」を以て生きることは、正常ではありません。これは、異常な事と見たが良いと思います。
どのように改善するのか。全くわかりません。
 ・・・・・。
とても難しい。また考えます。
                                 再見。

797 ブログ797 変な社会が生まれて・・・。その2

2013-10-22 13:41:36 | 台湾
私は、思うのです。すべてのことは、原因と結果。
生徒が先生を殴った。なぜ?
寝ているのを起こしたから、かっとして。
果たしてそれだけでしょうか?
ここは、あくまで、推理と憶測になりますから、言えません。
ただ、私は、子供というのは、悪戯をして大きくなります。
教師を殴ることは、悪戯を越えています。
問題は、それをどう本人にわからせるのか?
そこです。
確かに、刑事罰を受けさせ、社会の制裁を受けさせるのも一つの手段です。
けど、なんかもっと良い方法が・・・。
結論を出すのは、その学校の当事者の先生と管理職。
 わたしなら、どうしてもわからない生徒。
話をしても、説得しても、わからないと判断したときだけ・・・・。
 甘いかもしれません。
生徒が更に図に乗り、騒ぎ始め、収拾が付かないことになるかもしれません。

 他の生徒も見ています。学校としては、是は是。非は非。
はっきりさせたかったのかしれません。

 けど、わたしは、何かが違うと思うのです。
恐らく、寝ていたのは、今日が初めてではないような気がするのです。
日頃生徒が何を思い生活しているのか?
全部憶測になりますので、これ以上言わない方が良いと思います。
 言いたいことは、この生徒の欠けた面を指摘する前に、教師として、この先生にも、欠けている面があるように思います。
 厳しいようですが、尊敬している先生に叱られても、絶対生徒は、手を出しません。
どんなにきつく叱っても、日頃その先生の人柄・自分を心配してくれる先生だったら・・・、こんなことになりません。
 警察に出すことで、その生徒が罰せられ、事件は、解決していくように思いますが・・・。なんか。このニュースを聞いて、寂しいと思うのは、私だけかな。
これも時代といえば、それまで。
 学校は、人を育てるところです。願わくは、暴行した生徒が反省し、2度としない人間。先生に恨みを残さず、これからの学校生活をしてくれればいいと思います。
人が人を教育するのは、大変です。それぞれ感情も、怒りも持って居ます。そう言うときどう処理するのか、教えるのも学校。
教え方は、学校だけでなくて良い。確かに、警察の手を借りた方が早いし、分かり易い。
けど、・・・・。なにか、納得できないものを感じる事件でした。
再見。

796 ブログ796 変な社会が生まれて・・・。

2013-10-22 13:38:11 | 台湾
以前、書いたことがあります。これからは、教師も、学校も簡単に訴えられる時代が来ていると・・・。最近のニュースで二つ。
一つは、小学生を持つ母親が学校へ抗議して、学校の二人の教師に暴行を働いて、警察に「訴えられる」という事件。娘がいじめられてると思い、教師達にどけ座して謝れといい、おまけに松葉杖で暴行したという事件。事件そのものは、確かに親が悪いが・・・、
簡単に警察に訴える教師も・・・・。問題の本質「子供のいじめは」どこに行ったのでしょうか?
この教師、それを支える校長・教頭。もちろん学校全体の判断でしょう。
結論として、親を訴えることもあって良いが・・・。なんか「根本」が解決していないのに、他のことで荒療治しているように見えます。この学校に「いじめ」を根絶する力は、・・・・。ま、下手な憶測になります。
 もう一つは、中学校で、寝ていた生徒を教師が起こし、暴行されるという事件。
暴行傷害で生徒は、警察に逮捕されました。
ま。これも生徒がしたこと。
「許してはいけないこと」。これは、これで一見ありかもしれません。
けど、なぜ? この先生は、防がなかったのでしょうか。防げなかったのでしょう。
寝ている人間を注意するのは、・・・・。
結構簡単ではありません。優しく起こしても、同じ事が起こりましたか?
若い先生のプライドが許せなかったのだと思いますが 。
 この先生、この後この生徒を教えることができるのか?
もちろん。生徒も教師も人間。間違えは、誰でもあります。
その間違えがあった時、直ぐに警察を呼びますか。
私には、教師を殴ると、こうなるという見せしめの様な気がします。
 いいんかな。生徒を警察に・・・・。確かに、学校だけで教えることに限界もあります。
世の中を舐めている生徒には、良いお灸かもしれません。
 私は、この先生がどうして訴えたのか?管理職がどういったのか?

どちらも学校側、教師側に・・・・。逆言うと、保護者も教師に落ち度があれば、直ぐに訴えられる時代が来ていると言うことです。
「教育は、保護者・生徒と教師の信頼の上に成り立つ」 という前提は、くずれる形になります。直ぐに、第三者機関の警察に解決を委ねる。
問題によっては、そうした方が良い場合もあります。その生徒が改善しない、このままでは、もっと悪くなる場合。
 この生徒と松葉杖のお母さん。二人とも、良くならないのでしょうか?
なんで、もっと当事者同士で話し合う努力をしないのでしょうか。
なんか、寂しい社会が直ぐに来ているように思います。
 そう思うのは、私だけでしょうか?
                              再見。