自燈明・法燈明の考察

法華経の示す事の考察③

 法華経についての考察を進めていく。過去の記事を読んでいない方はまず以下の記事を読み進めてもらいたい。

 

法華経の示す事の考察① - 自燈明・法燈明の考察

さて、勤行の時の読経の事から法華経で説かれた事、そして広宣流布までを考えて来たが、ここで法華経に説かれた事について少し考えてみたい。広宣流布は法華経を広く宣揚し...

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法華経の示す事の考察② - 自燈明・法燈明の考察

以前にとある本で「法華経は単なる物語でしかない」という事を読んだことがある。確かに法華経は壮大な物語ではあるが、そこに示された内容はとても興味深いもので、それこ...

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 久遠実成が指し示す事は「人は根源的に悟りを得ている」という事なのかもしれない。釈迦が五百塵点劫という久遠にすでに成仏をしていたと明かしたのはそういう事だと私は考えている。しかしそもそも「悟り」とは何なのだろうか。
 この世界で仏教が語られる中で、よく言われているのは「釈迦は悟りを開いたという。ではその悟りとは具体的に何なのだろうか」という事だ。この悟りを言葉で言えば「阿耨多羅三藐三菩提」と経典で言ってはいるが、この言葉の意味は「一切の真理を正しく平等に知った最上の智慧の事」だと言われている。

 初期の仏典を見ると、例えば初転宝輪(悟りを得た後、初めての説法)では一緒に苦行林で修行をした五人の比丘に説法し、彼らは阿羅漢果(大乗仏教でいう二乗の最上級の悟りの地位)を得たと述べ、これで世界の中で阿羅漢果は六人となったという事が言われている。これは釈迦も含めて六人なので、この事から釈迦が得た境涯とは阿羅漢果では無いかとも言われている。つまりこの段階では釈迦の悟りとは大乗仏教で言うところの二乗の境涯であったという事にもなる。

 しかし久遠実成を明かした法華経如来寿量品第十六では以下の様に説かれている。

「諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我実に成仏してより已来久遠なること斯の若し。但方便を以て衆生を教化して、仏道に入らしめんとして是の如き説を作す。」

 ここでは仏が人々を導く際、徳が薄く垢が重い人たちには、仏自らが出家して阿耨多羅三藐三菩提という悟りを得たと説く。しかしそれは実は人々を導くための方便であったのだと言うのである。
 こうなると久遠実成で得た「悟り」と、法華経以前で説かれていた「悟り」というのは別モノであると考えられるがどうだろうか。つまり久遠実成以前に説かれていた「悟り」とは、そもそもが方便であり、人々を導くための仮の教えであったという事である。

 しかし、だからと言って私達は人生の中で受ける苦悩の原因について何も知らない、何も解らないという事では、何も救われないし、そもそも仏教の存在意義が無くなってしまうだろう。これでは仏教を信じ学んだところで私達は何も得られないと言っている事と同じになってしまう。それでは仏教そのものの原点、それは四門出遊で示されたような「生・老・病・死」の超克をする事が出来ないという事になってしまうだろう。それではおかしな話にもなってしまう。

 この事について、過去、創価学会の幹部であった故・友岡雅弥氏は興味深い事を述べていた。それは「釈迦は悟りを開いたのではなく、弟子たちに悟らされたのだ」という事、また「釈迦は悟りを開いたのではなく知ったのだ」という事だった。これは彼の人の書籍(書籍名は失念してしまったが)に書かれていた事だが、読んだときには、なるほどなと私自身は得心したのである。

 まずは私自身、この仏教の悟りという事について、どの様にとらえているかを書いてみたい。

 釈迦の説法とは現在では様々な経典などで内容を読む事が出来るが、そもそも釈迦の説法とは「一機一縁(一人の為に説いた法)」だと言われている。釈迦は常に苦しむ人を目の前にして、巧みな対話で目の前にいた人が、人生の真理に気づかせる対話をしていたというのだ。そしてその際に、常に脇にいたのは多聞第一と言われた弟子の阿難であったり、迦葉であったのかもしれない。そして釈迦が亡くなった後、その師匠である釈迦の教えを後世に残すべく弟子たちが一同に会し経典結集を行ったが、その際、釈迦が一人の人に対して行われた説法から、他の人達にも当てはまる内容に置き換えて経典化されたのではないかという説がある。つまり釈迦の教説の普遍化である。

 またこういった釈迦の業績を残す際に、その師匠である釈迦をある意味で権威付けするために「悟りを得た人=仏陀」として弟子たちが作り上げたのが「仏としての釈迦」であり、そこで釈迦は悟りを得た覚者として作り上げられたのではないかというのである。
 もしかしたら実際の釈迦は「悟りを開いた」という事ではなく、実は「心の姿」を知ったという人であり、それはどこかにある不可思議な境涯を得たという事では無かった。要は自分自身が修行を通じて人の「心について知った人」であったというのではないのか。こういう話であればとても理解し易い話だと思う。
 人は人生の喜怒哀楽を感じるのは、すべてが己心の働きによるものであって、どこか自分を離れた場所に原因があって感じるものではない。であれば「生・老・病・死」という四苦についても、自分自身の心の事をよく理解できれば乗り越えられるのではないだろうか。苦悩を解決する方法は、心の外にあるのではなく、あくまでも苦悩を感じる本人の心の中にあるのだから、その心を知悉すれば超克ができる。だから仏教は「内道」とも呼ばれているのだろう。

 そこから考えてみれば、法華経如来寿量品第十六で説かれている「方便としての阿耨多羅三藐三菩提」という事も私自身は腑に落ちるのである。
 また法華経とは前の記事にも書いたが、釈迦滅後500年ほど経過した後、大乗仏教の勃興と共に成立した経典と言われているのであれば、その当時の人達が考えた「それまでの仏教で言われた悟り」というのも、そういった事だと考えたのかもしれない。

 では久遠実成で言う「久遠の昔に開悟した」というのは、一体どの様な事なのだろうか。

 そこを考える上で、私は天台大師智顗の行った内観の修行について考えてみたのである。天台大師のいた時代、中国では「禅宗」と言えば天台宗の事を指したという。いま日本国内で禅宗と言えば臨済宗とか曹洞宗を指すが、その淵源は達磨大師の開いた禅宗であり、それは天台大師のいた時代では達磨宗と呼ばれていた。つまり禅を修行として取り込んでいても、その目指す目的は別にあったという事なのだろう。
 天台宗の僧侶は内観(自身の心を観じる修行)のために禅を組んでいたという。そして日蓮によれば前の記事でも少し触れたが、一念三千という教えは、その内観を行う際の指南として天台宗の中で教えられていたものだと言うのである。

 次はこの事について、少し別角度から書いてみたい。


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