創価学会の池田大作名誉会長(95)が老衰のため死去(2023年11月18日)
本日、創価学会で「永遠の指導者」と呼ばれている池田大作創価学会名誉会長が亡くなりました。
私の娘がスマホを見ながら「池田大作氏が亡くなったって」とつぶやいていた事で知りましたが、不思議な事に何ら感情も浮かばず「ああ、死んだんだな」と思った次第です。
一応、このブログでは創価学会の事も扱っていますし、若い頃には何とか「自分の師匠なんだ」と思いこもうとした存在でもあるので、一応、所感については書いておきたいと思います。
実は数年前から池田氏の病状について、内部関係者からは耳にしていました。本当かどうか、そこは確認しようが無いのですが、私が聞いていたのは当時、既に数回の脳卒中を起こしていたと言う事です。確か数年前に創価学園の卒業式には、池田氏の肉声で祝辞が述べられたと言いますが、その時は、長男で創価学会の副理事長の池田博正氏が「通訳」する事で、何とかその意味は聞き取れたという様な話も、関係者から漏れ聞いていました。
まあ宗教指導者で、そのカリスマ性で組織を維持してきた身なので、死に際も難しかったんではないでしょうか。
私の母(既に故人)は、昭和五十年代だったでしょうか。当時は第一次宗門問題の時だったと言いますが、近くの創価学会の会館に池田氏が急遽訪れ、そこに駆けつけて間近で見たと言います。母の口癖は「御本尊様と池田先生しか、信心は無い」という事でしたが、子供の頃にそんな話を私は聞いて、池田氏はどんな凄い人なんだろうと思いました。
私が二十歳になり、創価学会の男子部で活動家となって、班長という役職を持った当時、男子部の「創価班大学校」というグループに入り、その当時は「君の師匠は池田先生なんだ」と先輩から言われ、そこから「人間革命」を読み、「正義の旗、平和の心」とか「青は藍より出でて青より青し」という様な長編詩を読みながら、自分自身の中で池田大作という人物像を膨らませて来て、それがあたかも自分の人生の師匠なんだと思い込むようになりました。
しかしそれから四半世紀経ち、私も壮年部となり組織の様々な問題を目にした時「それが広宣流布の現実なんだ」と先輩から言われ、では私に広宣流布の理想を語り続けた池田大作という人物は如何なる存在なのか、自分の中で初めて真剣に考え始めたのです。
それは今から十三年ほど前の事でしたが、当時はインターネットもかなり普及していたので、池田大作という人物の姿を知るのは、それほど大変ではありませんでした。ネットの中で、様々な人と交流する中で、実際に池田氏を間近に知っていた人とも会いましたし、創価学会の元職員にも会いました。また地方の名士で人間革命の中で義父が描かれている人とも会う事が出来ましたし、某全国幹部(故人)のご家族なども会う事が出来ました。
そこで知り得た事を一言で言えば「ああ、やはり私は偶像崇拝をさせられていたんだな」という事です。
実際の池田大作という人物は、小説・人間革命で描かれている「山本伸一」とは異なりますし、「世界から多くの顕彰」なんてのも、実際には寄付等の対価で得たものが殆どでした。ただ元側近の人は行ってましたが「池田先生は中身が空っぽだが、人心掌握の天才なんだ。ただ”誰”が側近で付くかに依って言う事がコロコロ変わる人でもある」という事が実際の姿だったのでしょう。
恐らく秋谷元会長や原田会長なんかから見たら、とても扱いにくい人物だったのかもしれませんね。
第一次宗門問題当時(昭和五十年代)、池田氏は中央の会合にも参加できず、当時の場内役員からパイプ椅子を出され「先生はここに座ってください」と言われたそうです。そして信濃町の創価学会本部にも自由に出入りが出来ず、そこで神奈川文化会館に来館して反転攻勢に転じた、なんて話は私が創価班で幹部の時には聞かされていました。でもこれは恐らく創価学会の執行部による池田氏へのクーデターであり、そこからもこの「扱いにくい人物」だったという事も容易に想像ができます。
その後、池田氏は持ち前のカリスマ性により復権を果たし、その当時に私は男子部で活動家になったという事なんでしょう。だから「作り上げられた偶像崇拝」という事にもなったと、個人的には思っています。
ただ創価学会の実態を冷静に理解した現在の私にとって、創価学会もそうですが、池田大作という人物についても特に関心はありません。
恐らくこれから各地の会館などでは「お別れ会」みたいな事を催し、記帳とか何かしらの会合何かを創価学会としては打ち出す事でしょう。そして池田氏の死去という事をテコにして「次の法戦(選挙)は弔い合戦だ!」なんて打ち出しをして集票運動にテコ入れしてくると思います。
しかし正直、今の創価学会は池田氏のカリスマ性により求心力を持っていましたので、組織として死去した池田氏を「永遠の指導者」として更に持ち上げ、偶像化をより高めたとしても、いま低下している創価学会の組織としての求心力を高める事は出来ないでしょうね。現に末端組織では組織的矛盾を見ても「池田先生が生きているから脱会はしない」という活動家幹部も居たりしますから、そういった人達が組織を離れていく事は間違いありません。また執行部の幹部連中が、無い事無い事の「池田先生のご託宣」を述べた処で、そんな言葉で踊る人もそうはいないでしょう。
簡単に言えば、池田氏は自身のカリスマ性を持っていましたが、所謂「直属の弟子達」の中には、それを凌ぐほどの人物はいませんからね。これは信濃町の幹部連中は池田氏のカリスマ性にかなり依存し過ぎた結果なのかもしれません。
かくして創価学会は歴史の役割を既に終えても居るので、退潮傾向にこれから更に拍車がかかっていくのは間違いないのではありませんか?
もしかしたら、この事により「池田氏と創価学会の隠れた歴史」なんてのも、今後出てこないとは限りませんからね。
そんな事を、ふと池田氏の死去の報に触れて考えてしまいました。
池田先生。長いあいだお疲れ様でした。<(_ _)>