私の夏休みも間もなく終わります。極めて個人的な事ですが、この夏休み、私は3大激痛の一つである尿路結石によりのたうち回っていました。この尿路結石を初めて発症したのは34歳の時でしたが、その時には夜中に救急車で近郊の救急病院に搬送されました。よく尿路結石は激痛だと聞いて居たのですが、これほどの痛みだとは思ってもいませんでした。その後も幾度か再発し、5年前にも発症したのですが、今回ほどの症状は本当に十数年振りのもので、だから今年の夏休みは動画三昧で終わりです。
そんな中、以下の動画を見て少し考えた事があるので、今回はその事について記事を書いてみます。
もう日本は一年半にわたり、この新型コロナ禍に見舞われています。私もたまに職場に行くことはありますが、基本的にはテレワークで仕事をしています。私が仕事をしている会社も、社員がテレワークすることで、テナント料を削減できる事がわかり、事務所をフリーアドレスにして、社員の固定的な座席は撤廃してしまいました。そして拠点数も減らすことで経費削減が出来たと言っていました。
私がいる業界はIT業界なので、テレワークには相性良いものですが、この新型コロナ禍をトリガとしたテレワークにより企業の中でも、社内の情報のクラウド化もかなり進んだのでは無いでしょうか。またこれにより従業員の中でも、仕事への取り組み方の意識がかなり変化をしている事を感じています。
またそれだけではありません。現金決済についても、非接触という観点から電子化による決済も進んだように見えたりしますし、近所のコンビニでも会計はやはり自動化が進んでいる様にも見えています。
また社内や企業間の会議についても、ZOOMやWEB-EX、MS-TEAMSによるリモート会議も常態化し、その打ち合わせの議事録かわりに動画による保存も行われています。
たかだか一年半という期間に、実は私達の社会の中の仕組みが、かなり変化をしている様に見えますが、皆さんの周囲では如何がでしょうか。
物事には始まりがありますが、必ず終わりがあるものです。これは新型コロナ禍についても同様で、未来永劫にわたり続くパンデミックというのはあり得ませんので、いずれはどこかのタイミングで終息するでしょう。しかしその後の世界は、私達が以前に生活していた生活とは何かが変わった世界になっているのかもしれません。
ただそもそもの話なのですが、今回の新型コロナ禍のパンデミックは、私達がそれまで考えていたモノとは違うように私は思うのです。従来言われていたパンデミックは、具体的にはエボラ出血熱等という、とても凶悪なウィルスが感染拡大してしまう事を考えていましたが、今回の新型コロナ禍というのは、そんな凶悪な感染症とは思えないのです。確かに通年のインフルエンザと比較した場合には、症状が重症化してしまう傾向が強いのですが、それでも過去に台湾で発生したSARSと比較しても、まだ軽症の部類のウィルスに思うのです。
この新型コロナ禍は、病状としての重篤化というよりも、当初から言われている様に「インフォデミック」という様な、感染症としての情報の混乱の方が、より重大な様にも私は感じています。
例えばこれは昨年の初めの頃、パンデミックとして感染拡大が世界中で報告されてから、各国では様々な混乱を招いています。日本国内に於いても東京オリンピック以降の感染拡大は、かなり勢いがあると見受けられますが、それであっても通年のインフルエンザの感染拡大と比較すると、かなり小規模にも見受けられますし、その感染を確認するPCR検査にしても、以前からアデノウィルスやインフルエンザウィルス等、他の既知のウィルスに反応してしまうという事が言われていました。よく新型コロナ感染者の中で軽症で治癒したという話もありますが、もしかしたらこれは従来の風邪である可能性は否定できない事ではないでしょうか。そうであれば拡大する感染者の中の幾パーセントかは、従来の風邪であるにも関わらず、それが新型コロナ感染とカウントされてしまっている事は否定出来ないでしょう。
またこの様な状況にも関わらず、治験期間が従来のワクチンと比較してもかなり短期に開発されたワクチンで、しかも新たなmRNAワクチンをこれだけ国民の広範囲に接種させる必要が果たしてあったのでしょうか。
確かにmRNAワクチンは癌に対する治療薬として用いられていますが、そもそも癌という病自体、内科的に完全治癒が見込まれる病ではなく、いまだ外科的な治療法が主流な病です。何を言いたいかと言えば、癌に対する治療薬で利用された実績を、そのままこういった感染症の為のワクチンの実績として語られている事自体、私はオカシイと思うのです。
この様に新型コロナ禍というのは、実際の疫病としての社会的影響というよりも、その疫病に対する情報が不明確な事による社会的な混乱が大きな問題であると私は思っています。
私はこの一年半の間に起きた社会的変化と、最近の新型コロナへのワクチン接種に対する各国政府の動きなどを考えてみたのですが、もしかしたら新型コロナ禍というのは、この社会変化を起すための「呼び水」として、周到な計画の上で起こされた事だと言う可能性は無いでしょうか。そしてこれはまだ事の始まりであり、これから先にどの様に変化した世界を私達の目の前に現出していくのか、私たちはしっかりと見つめていかなければならないと思うのです。
これは陰謀論に属する論法になってしまいますが、どうもこういう臭いがしてならないのです。だから無闇に情報に踊るという事ではなく、一つひとつの情報をしっかりと見極め、自分自身、判断できる心を持っていなければならない。
私はその様に考えているのです。