自燈明・法燈明の考察

裏金問題の自民党「非公認」について

 最近のニュースやワイドショーでは、石破総理の言動で大騒ぎしていますね。

 

裏金問題で自民非公認見込み、高木毅氏「厳しい判断」 無所属の意向:朝日新聞デジタル

 次期衆院選の自民党公認の可否をめぐり、石破茂首相(自民党総裁)が裏金問題による処分の重さを基準とする方針を示した。党員資格停止処分を受けていた現職の高木毅氏(6...

朝日新聞デジタル

 

 色んな論客やキャスターなど、入り乱れて「裏金問題の非公認」という事で、てんやわんやの大騒ぎ。まあ確かに以前に処分をしたにも関わらず、改めて来る総選挙で非公認にするのは「二重処罰」だという話もありますが。

 私から言わせたら、こんな事はある意味「茶番」で日本のマスコミもそうですが、そもそも日本人は忘れてしまっているんですかね。

 日本は「民主主義国家」なんですよね。

 まあ正式に言えば「議会制民主主義」をとっている訳なんで、国会議員とは選挙区の有権者の代理として国政の場に送り出されているという立場でしょう。であれば例え「裏金議員」と言っても、選挙区の有権者が送り出したのであれば、その責めを本来負うのは選挙区の選挙民なのではありませんか?

 まあ確かに政党としての自民党が、そんな過去に不正を行った議員を公認するか、しないのか。そこはそこで「政党」としてのモラルが問われるのはわかります。しかし国会議員を議員たらしめているのは自民党ではなく選挙区の選挙民であるという事を、この社会はどの様に考えているんでしょうか。

 不正がケシカランのであれば、選挙で落選させれば良いだけではありませんか?

 でも結果として、恐らく多くの裏金議員は来る選挙で当選し「禊は済んだ」なんて言って終わってしまう訳でしょう。そもそもそこがオカシイとは思わないのでしょうか?

 議員を当選させる為に活動するのは、多くが国会議員の「既得権益者」や「利害関係者」なんでしょう。要はモラルや政治の事よりも、まあ簡単に言えば「自分の利益があるのか」「利益がないのか」という基準で考えて行動しているか、もしくは某巨大宗教団体では「当選させれば功徳(御利益)がある」と思って行動しているだけですよね。

 しかしそんな選挙をしていて、そこに「日本国の国益」「日本社会の発展」なんて事が叶うと思っているんでしょうか?

 以前の記事にも紹介しましたが、「銀河英雄伝説」(田中芳樹著)という小説には、この事について以下の言葉がありました。

「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。
 それは個人の腐敗であるにすぎない。
 政治家が賄賂をとってもそれを批判することができない状態を、政治の腐敗というんだ。」

 これは主役であるヤン・ウェンリーの言葉となっていますが、政治の腐敗という事について、実に的確な言葉で表現していると思います。

 裏金を取り未申告で平気な顔をしている議員は、ここでは「個人の腐敗」であるとしています。その上でその「腐敗した議員」を落選させる事が出来ない社会の状態、これをこの言葉では「政治の腐敗」と呼んでいます。

 要は社会で許容しているんですからね、そんな腐敗議員を。

 問題はそこに根っこがあって、政党の自民党の公認・非公認なんてのは、そもそも主題ではない訳です。

 これは何も腐敗した議員を支持している人達だけ指している言葉ではありません。選挙区で選挙を「棄権する人達」も、結果としては腐敗議員を「無言で支持」している訳なので同類なのです。

 それが議会制民主主義なのではありませんか?

 今の日本社会に必要なのは、政治や社会、また国に対する基本的な理解と認識なのではありませんかね。今はそれらが国民の中で著しく欠如していると思いますよ。

 

 


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