自燈明・法燈明の考察

広宣流布の再考

 今朝のニュースで米朝協議で北朝鮮は非核化を取り下げるという事をアメリカに通告したといい、その為なのかアメリカは世界に三機しかない核心偵察機のコブラボールを極東に配備したと言います。またアフガニスタンでは日本人医師の中村氏がテロリストに殺害され、中国は香港に対する高度な自治権の締付けを厳しくするとか。南沙諸島では中国の軍備拡張が止まらず、アメリカとイランの関係も悪化が止まりません。

 釈迦の言葉で以下のものがありました。

 よく見るがいい。
 下界は燃えている。
 下界の者たちは感覚的・物質的快楽にふけり、
 三毒の火がついて、おのれの身も心も燃えている。
 彼らを取り巻くものさえ燃えている。
 欲望に火がついて、その火に追い回され、
 背中に火を背負って逃げ回っている。
 眼が燃えている。眼の欲望が燃えている。
 耳が燃えている。耳の欲望が燃えている。
 鼻が燃えている。鼻の欲望が燃えている。
 舌が燃えている。舌の欲望が燃えている。
 身が燃えている。身の欲望が燃えている。
 心が燃えている。心の欲望が燃えている。
 人のすべての欲望に火がついて燃えている。
「雑阿含経 燃焼」

 まさにこの現実の人類社会は燃え盛っている様に思えてなりません。戦争というのも、そこにある理由は様々です。しかし根っこを辿れば、人の持つ「欲望」や「執着」があり、それが目に見える「資本」という形になり、その資本が故に人類は遠い昔から戦争を続けてきました。

 人類史とは言っても、それは詰まるところ戦争の歴史であると言っても過言ではありません。

 創価学会の聖書でもある、池田大作氏は自著(と言われてますが、実際には篠原善太郎氏等の代筆ですが)の「人間革命」の冒頭で以下の様に語ってました。

「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものは無い。」

 そういう人類社会を変えようと、創価学会を筆頭として、日蓮正宗や顕正会といった、いわゆる日蓮門下の教団は、「広宣流布」という事を主張してきました。しかし戦後七十年を過ぎて、特に創価学会等では政権与党にまで入り、自分達の組織を「世界に認められた」とか言ってますが、今の時代、その本拠地である日本は正直言って年々過ごしにくくなってます。また「世界広布」とか言っていましたが、人類社会はより良くなってますかね?

 私は全く成ってないと思うんですが、どうなんでしょうか。

 以前にとある創価学会の青年部幹部と語らった事があります。彼は当時、大の池田大作氏のシンパであり、物凄く彼に心酔をしていました。私が過去、七十年間近くの創価学会の活動を評価し、今までのままやっても世界なんて変わらない。創価学会も広宣流布という活動の結果を客観的に評価し、見直しを図らないとダメだろうと語ると、烈火の如く食いついてきました。

「世界から認められた創価学会が間違えているはずは無い!池田先生こそ世界の希望なんだ!」
「戦後七十年とは言うが、末法万年でありまだまだ草創期だ。これから見ていけば必ず創価学会の偉大さを知る事が出来る!」

 この彼の言動を見たとき、過去に創価学会で活動をしていた自分の姿がそこに重なり、とても残念な気持ちになりました。

 「広宣流布」という言葉は、法華経に述べられた言葉ですが、それは後後の五百歳(釈迦が亡くなり二千年以降の末法の時代)に法華経を流布し、それを止めてはならないと言う言葉でした。ここでは法華経の事を述べていましたが、いつの間にか法華経が、法華経を広める組織の拡大へと意味が変わり、日蓮正宗では日本人の殆どが日蓮正宗の信徒となり、国費で戒壇堂が建立され(これを国立戒壇と言いますが)、天皇が何れ日蓮正宗の貫首に頭を下げ、教えを乞うような時代になると語ってました。
 そして創価学会も同様な考え方を持ち、戦後の日本社会の復興の波に乗り組織を急速に拡大し、国立戒壇建立の為に国政選挙まで進出しました。いまの政権与党にある公明党などは、その創価学会の活動の残滓と言っても良いでしょう。

 法華経の教えの流布が、組織拡大に変わり、それを広宣流布と呼ぶなんて、手段と目的を履き違えているというモノですが、誰もそのレトリックに気づきません。恐らく今の創価学会や日蓮正宗では、法華経の何たるかをまともに答えられず、それぞれが自分達に都合の良い我田引水の解釈論を語る事が精一杯なのではありませんか?

 そろそろこの日蓮の言葉である「広宣流布」という事についても、再考する時が来ていると私は思います。一つの宗教や思想が広まるだけで、一万年近く続いた人類の戦乱の歴史が変えられるなんて、まるで白昼夢を追いかけている様なモノです。

 人類社会は多くの民族や文化、そして歴史が混在しています。文化が異なれば意思疎通もなかなか難しいのですが、それ以前に言語も異なるのです。また人類は石器時代とハイテクノロジーが混在した世の中です。こんな種族が相互理解をして、共通な価値観に容易に立てる訳が無いのです。

 その大前提に立って、如何に相互理解し合えるのか、また限られた地球環境の上で、他の種の生き物たちと共存できるのか、そこを考えなければなりません。そしてその上で、宗教はどの様な役割を果たせるか程度のモノなのです。

 何時までも一宗教のドグマに囚われるのではなく、思考や発想を大きく変えて考え直す時期に来ているんですけどね。

 オマケであと一つ。
 先に紹介した池田大作氏の熱烈シンパであった青年部員ですが、今では熱烈な日蓮正宗信徒となってました。彼曰く「創価学会は邪宗であり、池田大作氏は極悪人」だそうです。そして唯一正しい信心は、御法主上人猊下様につらなる日蓮正宗にしかないと、私に語ってましたよ。

┐(´д`)┌ヤレヤレ



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