引用元:毎日新聞
先日の高橋幸宏氏に続いて、先月(3/28)に坂本龍一氏も闘病の中で亡くなったという事を知りました。
中咽頭ガンが寛解していたのに今度は直腸がんと肺がんを患われていたという事。先日、私も腎臓がんを患いましたので、けして他人事の様な気がしませんでした。
また2月には創価学会で男子部時代の大先輩の急逝の報せを受けもしましたが、考えてみれば私もそういう年齢になってきたという事を、改めて実感しています。
私の人生もあと何年なんだろうか。
こればかりは誰も判りません。前にも書きましたが、二十代から三十代の時には、人生とはまだ長くあり、自分の人生もまだまだ時間的に余裕があると考えていました。でも先輩や、高橋幸宏氏や坂本龍一氏の様に、私が若い頃からの有名人の訃報に接する様になると、自分自身の人生の時間というのが有限だという事を、実感を伴って感じてくる様になります。
仏教には「成住壊空」という「四劫」が説かれています。
これはこの世界のサイクルについて述べている事ですが、これは世界だけではなく、全てのモノ、また個人の人生についても当てはまる内容です。
「成劫」とは誕生してから成長するまでの時間。
「住劫」とは成長したのち、そこで活動する時間。
「壊劫」とは成長したものが壊れていく時間。
「空劫」とは、壊れて形としては無くなる時。しかしそれはまた「成劫」へと続いていく。
今の地球のサイクルは「住劫」と思われます。また日本という国家も「住劫」でしょう。しかしそれはいずれ「壊劫」を迎えます。私の場合、やはりこの年齢で肉体的にも様々な事で不具合も起きてきまし、仕事という側面を見ても、あと十年程度で「定年退職」を迎えるので「住劫」から「壊劫」に向って来たという事なのかもしれません。
しかしこの「壊劫」が見えだすと、自分のこれまでの来し方も見えてきますので、これからどの様に振舞うべきなのかを、より真剣に考え始める時期になってきたという事を感じます。だから従来の様な行動も難しくなってきます。これは単にフィジカルな側面だけではなく、社会的な側面でも言える事です。
具体的に言えば、今の私には十代の様に「よし!これからパイロットとして進もう!」なんて事は、肉体的にも社会的にも出来ない(ある意味で、絶望的な困難レベルとも言えます)事なんです。
昔のインドではこの段階の人生の時を「隠棲期」と呼んで、人は森の中に交わり、今まで生きて来た人生を省みながら、どの様に残りの人生を生きて行くのか、思索すると言われていたというのです。
私もそういう事に、より思索の方向を向けていく必要があるのかもしれないと、感じている次第です。