さて、前回は私なりの視点で平和について、また国やその安全保障について簡単に書いてみました。とても簡単に書きましたが、要は単純に世界平和という事を実現するのは困難だと言う事と、それを実現するには一人ひとりの人間が、現状の人類社会の認識を深める事が極めて大事だと、私は考えているのです。
しかし日本国内ではそんな事を考えている人は少ないでしょう。私が学生時代の教師たちの多くは「左派リベラル的」な思考傾向が強く、単純に護憲平和を堅持する事で、今の平和が維持できると教えられてきました。そしてこれは創価学会も同様で、創価学会では一つの宗教を世界に広める事で実現できると教え、その模範的な行動は池田大作という人物が実行しているとして、その池田氏の人格を讃え、活動家会員達はその池田氏に続く事が大事だと教えられて来たのです。
私は人生の大半の時間、この日本社会で教えられて来た事、また創価学会で教えられて来た事を鵜呑みに信じて生きてきたのですが、ここ十年ほどの日本社会のボンコツっぷり、また創価学会の下らなさを知る事をキッカケにして、自分自身で調べ思索を重ねる中、実はそんな事では無いという事を考え始め、現在に至っています。
まず現在の日本国憲法を単に守るたけでは、平和というのは得られないと思っている事は前回の記事でも書きました。確かにこの憲法のおかげで私もそうだし団塊の世代の先輩たち、また今の若い人達も戦争を経験せずに来れました。ただこれは東西冷戦という世界の構造、またアメリカ軍の傘の下という事で守られた「平和状態」であって、決して恒久的なものではありません。むしろ現在では、この憲法下で結果として日本人の安全保障意識は麻痺させられてしまいましたし、東西冷戦後の世界の中で、これからの日本はどの様な立ち位置に居るべきかという議論すらまともに議論すら出来ません。
そもそも北朝鮮に拉致られてしまった国民の保護を、アメリカに頼る事でしか出来ないという、この国の今の姿勢にその事が端的に表れています。
では一つの宗教を弘める事で、この世界を平和に出来るのかと言えば、それも不可能な事が判りました。むしろここ数年の間で理解出来た事は、宗教そのものが人間の間に無用な誤解を招いていたり、人々の相互理解などを阻害している要因であるという事です。創価学会では「池田思想」で宗教の違いを超えた人類の相互理解を深める事が出来ると言っていますが、それではイスラム教国で戦乱が続く国々に創価学会の幹部自身が入っていき、自ら「池田思想」とやらで争いを治める事が出来るのか、是非とも試みて欲しいと思うのです。
まず世界の平和を実現するのであれば、資本によって人類は踊らない様にならなければなりません。戦争とは確かに国家間の外交活動の延長戦上にある行為ですが、その戦争の根底には必ず「資本」というのが存在します。戦争とは外交活動の延長線上の行為であると共に、国が行う「最大の公共事業」という側面も存在します。世界中には多くの軍事産業がありますし、その戦争に投資をする事で利益を得る資本家も存在します。
また人は「資本(お金)」に踊りますし、その人類社会で生きる一人ひとりの生きる権利の大きさは、ある意味で「お金」の所有額に比例します。私達がそういった「資本(お金)」に踊らない心を持つ事が出来る様になれるのか、そこが大事な事だと思います。
もう一つは「国家」の意味の変化が必要でしょう。これについては日本の歴史でも読み取る事が出来ますが、この日本も応仁の乱以降、各地の戦国大名が乱立し、そこで互いに戦を続けていました。当時の日本という国は、この戦国大名の集合体でしたが、江戸時代に至りその各大名家は「藩」という単位に変わり、その後、明治維新では近代国家で「日本人」の概念のもとで統一されました。
今の国家とは宗教や民族等で別れていますが、これが最終的に「人類」とか「地球人」という意識の下で統一され、現在の日本の都道府県の様な行政単位の様に行政単位としての国家になれば、また人類社会も変わっていくのかもしれません。この様な人類としての意識の変化も必要になると思うのです。今の国家のままでは、それぞれが国家に属する民族や宗教の権益を維持する為に、争いが絶える事も無いでしょう。
またこういった意識の変化をもたらすために「思想」の持つ役割がとても重要だと思いますが、この場合の思想とは、けして宗教であってはいけません。宗教とは「始祖」が居て、その始祖の思想を体系化して組織化したものですが、そこでは組織に依存して、一人ひとりが思考の依存を招いてしまい、けして思考の独立をもたらす事は出来ません。思考が独立しない限り、その先にある民族や文化の差異の受容や、相互理解という事が進む事が出来ないでしょう。
そんな事をつらつら考えてみると、まだまだ人類には平和を享受できる時代は来ないのではないでしょうか。道のりは遠い事を実感してしまいます。