また週明けには台風が日本沿岸に接近するという予報もありました。昔であれば台風が日本に接近するのは9月頃が相場でしたが、先日、東北地方に初めて直接台風が上陸したりしてもいましたので、やはり世界的に地球の気候変動が見えてきていますよね。
こんな状況では、炭酸ガス排出量規制をしても手遅れという事ではありませんか?いやいや、そもそも炭酸ガスだけが、この気候変動の原因ではないかもしれません。いまさら「持続可能な開発目標(SDGs)」なんて国連主導でやってますが、そんな事、どれだけ意味があるんでしょうか。
さて、今日のお題です。私は若き日を創価学会で過ごしてきたので「自分の環境は自分の生命が作っている」と教えられ、だから「一人が変われば社会を変えられる」とも教えられました。そしてその運動が創価学会の目指す「広宣流布」だと教えられてきました。
確かに個人的な環境という事では、そういう事も有ると実感してきましたし、自分の心持ちにより変化をする事もあると思いますが、こと社会相手にはそう簡単に行かないようで、その事について少し書いてみます。
◆龍馬伝に見える社会変革
いまNHKオンデマンドで、大河ドラマ「龍馬伝」が毎週二話づつ公開されています。従来の坂本龍馬というのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がベースとなっており、ひたすら破天荒な人間像が描かれていました。この「龍馬伝」でも坂本龍馬は破天荒ではありますが、より周囲の人間像がリアルに描かれていました。
この龍馬伝の坂本龍馬は、幕末の騒動の中で倒幕へと動いていますが、武力に依らず、武力は自分達の本気度を示す道具として用いる事と考え、薩摩と長州を結びつけ、そこに土佐も関与させましたが、あくまでも戦をさけて倒幕・維新を成し遂げるために奔走していたのです。
そしてこの戦を避ける為に「大政奉還」という事を、土佐藩の山内容堂を動かす事で成し遂げ、そこから新たな国の体制を作り上げることを模索し、そこには幕府の人だろうと関係なく、能力ある様々な人が参加できる様に幕府や各藩を焚き付けました。この時、坂本龍馬が考えたのは、幕府の人であろうが親藩、倒幕側の藩だろうが、そこを拘らずに議論を尽くして登用する事を考えていたのです。
確かに坂本龍馬の考える国の形は、理想的なものでした。しかしそれにより様々な人から恨まれる事にもなったのです。
一つ目は幕府を政権の座から降ろした事により、幕府側にいて禄を得ていた人達からの恨みでした。要はそれまで幕府の侍として地位を得て生活した人達からすれば、自分達の地位と生活を破壊した張本人として恨まれてしまいました。
二つ目は、今まで幕府から虐げられてきた薩摩藩や長州藩ですが、彼らは幕府の徹底解体を睨んでいて、その為に武力による徹底した幕府の解体を考えていました。しかしそこを「大政奉還」という事で、足場を外しにかかったのが坂本龍馬であり、しかも有用な人材であれば幕閣でも新たな政権に参加可能とするという坂本龍馬の提案は、許しがたい行為に見えたのです。
三つ目は土佐藩です。坂本龍馬は所詮下士であり、土佐藩要職の上士からみたらそれらは出過ぎた行為で、参政である後藤象二郎や大殿様である山内容堂公を誑かし、武士という身分制度を破壊した張本人と見られました。
この様に様々な人達からの恨みを一身に集めてしまった結果、坂本龍馬は暗殺されるに至ったのでしょう。確かに坂本龍馬の掲げたのは「皆が笑顔で暮らせる、平らかな世の中」でしたが、それにより彼の周囲には様々な軋みを産んでしまった結果が、坂本龍馬の暗殺とも言えるのではないでしょうか。
◆変革の難しさ
さてその後の歴史を振り返ると、クーデターとも言える薩長両藩の行動で、徳川幕府は倒れました。しかしながら破壊する事に成功した薩長両藩ですが、新たな仕組みを組み上げるためには、様々な困難に直面していきます。しかも幕府は倒しても、国の動かす仕組みは幕府の仕組みを利用して構築。結果としては坂本龍馬の目指した事と、何ら変わること無い内容でした。しかし武力倒幕という事で、戊辰戦争も長期化し、そこでは多くの人材が亡くなってしまいました。
また国の形を根本から変えてしまった事で、多くの武士階級か明治政府に対する不満を募らせ、それが西郷隆盛を担ぎ上げだ西南戦争を勃発させてしまいました。
「建設は死闘、破壊は一瞬」
まさに明治維新のときに、日本が経験したのはこの言葉であったと思います。
こういった日本の近代史にある歴史を紐解いて見てみると、創価学会が語る「一人の偉大な人間革命は、一国をも変換し、やがては人類の宿命転換をも可能にする」なんていう言葉が如何に安易な言葉であるかが解ります。
確かに一人の人間が変わる事はあるでしょう。しかしその変化が果たして社会にどの様に反映していくのか、そしてそれが歴史的にどの様な事態を招いてしまうのか。そこばかりは単純な仕組みで動くほど、今の人類社会は単純ではありません。
いまは東京オリンピックに浮かれている日本も、オリンピックという白昼夢が終わった後、そこに残る膨大な負債と、恐らくパンデミックの様相を改めて見せつけられる事になります。そして任期満了に伴う総選挙。
創価学会の活動家達は、今こそ広宣流布で社会を変えるのだと息巻くもしれませんが、今の社会を変えるのは、単純に創価学会が頑張れば出来るなんて事ではないのを、認識すべきですね。
今の日本が国として置かれている状況も、けして安楽な位置ではありません。世界的に見れは、アメリカと中国の覇権争いが活発化するかもしれませんし、もしかしたら今まで経験した事のない状況に巻き込まれるかもしれません。
その為に、少しでも構わないので、まずは自分達の目で見て物事を考えられる人が増える必要があるのではないかとも思ったりしますが、どうもそれで乗り越えられるほど、楽観的な状況になるとも私は思えないのです。
皆さんは如何が思いますか?