自燈明・法燈明の考察

広島原爆投下から76年

 今日も酷暑の一日ですが、夏休みの初めにかけて日本には台風が接近してきてますので、天気は荒れるんでしょうか。多少気になってます。

 さて、本日は広島に原爆が投下されてから76年目になりますが、朝の情報番組では相変わらず「東京オリンピックカラ騒ぎ」ばかりで、この広島の話題に触れているものはなかった様に思います。まあ番組のどこかでは触れるのでしょうが、こういう事にも過去の記憶の風化という事を感じてしまいます。

 私が子供の頃、学校の図書館には「はだしのゲン」という漫画が置いてあり、そこでこの広島原爆投下に関する生なましい内容を読んで日本の過去にあった被爆体験の事を知りました。授業などでもよく、この広島の後に続く長崎への原爆投下から、日本は「世界で唯一の被爆国」と教わりましたが、よくよく見てみると実際には日本だけが被爆国では無いというのが、いまの状況です。

 原爆を投下したアメリカでも、数多く実施した核兵器の実験により兵士や市民の中にも被爆者がいますし、信じられない話ですが、プルトニウムの接種実験という、狂った様な事も行われていました。またロシア(旧ソビエト連邦)ではウラル核惨事で1054人が被爆、セミパラチンスク核実験場周辺にも多数の被爆者がいる事も判っています。
 近年では湾岸戦争やアフガニスタン戦争で、アメリカ軍が使用した対戦車兵器の劣化ウラン弾による、地元住民への被爆も問題となりましたが、アメリカ軍はこの事実関係を否定しています。その他、中国でもシルクロード遺跡の周辺に核実験場がありますが、被爆の実態に関しては不明です。

 いま世界の核保有国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮と、以前よりも核兵器の拡散は進んでいます。これは詰まるところ以前よりも確実に核戦争の危険性というのは人類社会では増加している事を意味します。なぜ人類社会の中で、この核兵器の拡散が起きているのか。そこには核兵器の破壊力の強大さがあるからです。

 実際に軍事論の中には核戦略論というのが確立されていますが、そこに「核兵器抑止論」というのがあります。(うろ覚えなので名称が間違えていたらゴメンナサイ)これは核兵器は破壊力が強大で、使用されたら相手は確実に大きなダメージを蒙りますので、核保有国同士が戦争に至る可能性は低く抑えられるという理論です。
 実際に東西冷戦と言われた時代、アメリカとソビエト連邦(現ロシア)の間では、この抑止論にある効果が働き、この両大国が直接、戦火を交える事はありませんでした。その為に世界的に見ても第三次世界大戦は核戦争になると言われていましたが、世界規模で大きな戦争は起きていなかった時代でもあったのです。これは核兵器による平和とも呼ばれていました。(代理戦争は世界各地で起きていましたが)

 またこの核兵器の保有というのは、外交カードとしても有効であり、保有国となれば安易に戦争を仕掛けられる事も無くなります。近年、北朝鮮が核兵器保有を急いでいたのも、この理屈からであり、結果として北朝鮮はアメリカ大統領を会談の場に呼び出す事も出来ました。
 最近では中国が尖閣諸島に圧力を掛けていますが、その一方で日本に対して気を使っているのも、その日本の同盟国であるアメリカが強大な核兵器を保有している国という事も恐らく関係している事であり、過去にソビエト連邦も日本に本格的な侵攻をしてこなかったのも、これと同様の理由があったからでしょう。これはやはり日本はアメリカ軍の持つ「核兵器の傘の下にいた」という事の現れではないかと私は考えているのです。

 初めて核兵器が使用され、本年で76年目となりますが、既に外交のカードとして核兵器は人類社会の中で「認知」されてしまっています。近年、国連の場で「核兵器禁止条約」が話題となりましたが、この条約批准国は非核保有国ばかりで、これらの国は核兵器という外交カードを持たない国ばかりです。これでは外交カードとして定着してしまった核兵器を保有する国、またその核の傘の下にいる国は、安易に条約批准は出来ない事だと私は思います。

 日本国内ではこの条約に政府が批准しない事への批判が多くありますが、もし日本がこの条約に批准するなら、アメリカ軍の傘の下から抜け、軍事的にも独立した国でなければならないでしょう。またそうでなくては国の立ち位置として大きな矛盾を生じてしまいます。

 少し観点を変えて、パキスタンには「モヘンジョダロの遺跡」というのがあります。これはかなり昔の遺跡で有史以前のものと言われていますが、そこにはガラス化したものが確認されています。しかし物がガラス化するには、超高温の状態が起きないと、起こり得ないと言われており、一説には過去にモヘンジョダロで、熱核攻撃による戦争があったのでは無いかと言われています。ただ古代に果たして核兵器があったのか、そこは肯定も否定も出来ません。そもそも人類史は完全に解明されているわけでは無く、ある考古学者によれば、世界にある遺跡の2〜3%しか調査されていない状況で、今の考古学は出来上がっているとも言われています。だから一部の学者の信念体系が、今の考古学だという話もある程です。

 地球環境はいま、大きな変革期を迎えています。それと共に人類社会も大きな曲がり角に来ていると、私は感じています。これから先、果たして人類社会はどこへ進んでいくのでしょうか。原爆が初めて人類の戦争に使われてから76年目の日に、そんな事を考えていました。




クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「思う事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事