自燈明・法燈明の考察

正しい教え・間違えた教え・正法・邪法

 今日は久しぶりに時間に余裕が出来たので、開目抄に取り組んだのですが、改めて読んで観ると、この開目抄というのを現代語に訳して解釈した処で意味ない箇所もあったりする事を感じてしまいます。だからこの御書を解釈した処で、それはあまり意味を為さないと思いましたので、一旦、このブログでは記事を取り下げしました。(これは前の記事に書いた次第です)

 日蓮が生きた時代は今から八百年以上前の時代で、その生きた時代を考慮して、当時の日蓮が置かれていた立場、社会情勢や門下の状況を加味して、この開目抄は読んで行かないと、この現代ではあまり意味あるものにはならないと考えています。

 また機会があったら、改めて記事として書いてみたいと思いますので、よろしくお願いします。

 しかし最近になりとても強く感じている事なのですが、この人類社会はこれからどの様になっていくのでしょうか。



 今朝見たネットニュースでは、ウクライナでは民間会社の事務員も徴兵され、ロシア侵攻に備え始めたというのがあり、アメリカからはウクライナへ軍事支援物資が続々と届き始めていると言われています。まさかウクライナで紛争等が起きたりしないでしょうか、とても気になります。

 そしてこれは極東アジアも同じです。
 台湾をめぐり、未だ米中の緊張が高まっています。この状況に至っては日本は他人事ではいられないので、とても気になるところです。

 人類社会では未だに国家間で「覇権主義」を捨てきれてはいませんので、やはり戦争とは無縁である状況には至っていません。要は人類がこの地球上で進化した種族だといっても、未だにこういった「野蛮性」を持った種族であるという事の証なのかもしれません。

 その他にも新型コロナのパンデミックについては、オミクロン株という訳わからない変異種が世界を席巻しているという報道が繰り返されています。こういう報道を見た人々は、このオミクロン株による感染拡大を懸念しながら、その一方では以前の様に過敏な反応はせずに、生活をしています。地方への移動は抑制されている様ですが、その一方で繁華街の人流が増加しているという行動に、こういう人々の心理が反映されている様に思うのです。

 そもそも報道番組では「過去最大の感染者数」と報道していますが、それでは検査実施の総数、過去の検査数との比較を提示しているかというと、どこの報道を見てもそんな事を報道なんてしていません。
 また日本国内ではワクチン接種済の人数が既に8000万人を超えていると言われていますが、それではオミクロン株に感染したうち、ワクチン接種の接種済みの人の比率。また重症化数と、その重症化した内訳で、ワクチン接種済の人数が何人居たのかについては、何も報道していません。日々垂れ流されているのは「新規感染者数が〇〇名、過去最大を記録」という情報ばかりではありませんか。

 こんな報道に、私はまったく意味を見出せないんですけど、皆さんはどう思われますか。

 その他にも日本社会の中では、オカシナ事件が最近になり増加している様に思えるのですが、これらはこういった様々な社会不安などの影響もあって増加しているという事はないのでしょうか。そこがとても気になる所です。

 さて、ネットではアンチ創価学会も含めて、こんな世情だから社会をリードする「正しい教え」が必要だと言う様な発言も出ていますし、相変わらず正法・邪法なんて単語も飛び出ています。

 しかしそもそも「正しい教え」なんてあると、いまだ幻想しているんですかね。「正しい」「間違い」とは何を元に判断するというのでしょうか。日蓮が正しいとか間違えているという判断は、その根底には教相判釈の思想があり、それを突き詰めると天台大師智顗の考えた教相判釈へと行き着きます。それでは今の創価学会やアンチ創価学会の人達も、その天台大師の考えた思想に基づき、正しいとか間違いとかいうのでしょうか。

 それとも池田氏がパッチワークの様な思想もどきを提示していますが、その池田氏の思想モドキを基準に正しい・間違いを判断するのですか?それとも江戸時代中期の賢樹院日寛師の教義を元に判断するのでしょうか。

 まさか「人間主義」を持ち出して「人間を中心に」なんていうのではないでしょうね。そもそもその「人間」自体が、先にも述べた様に、その心の内側には未だ「野蛮性」を秘めているのですから、それを十二分に理解した「人間主義」なんて、今の時代ではありえないと私は考えています。

 恐らく今の時代、正しい法とか正法なんてのは必要ないと、私なんかは思ってしまいます。全ての虚飾を振り払い、人間とは如何なる存在なのかを、人類が共通認識に立てる様に後押しできる思想があれば良いと思いますが、そこには人間一人ひとりの心の中にある「化他自在天の心(他者を自在に操りたい)」を理解し、我利我利の利益根性を排除する事を、同じく後押しできる思想があれば良いのかもしれません。
 しかし結局のところ、一人ひとりが「自分自身の心」の理解を少しでも深める事が必要だと思いますし、それを獲得する為にも、人類はまだまだ多くの苦難の歴史を経験する必要がある様に思えます。鎌倉時代の日蓮の思想についても、まだまだ深堀が必要なのではありませんか。

 もしかしたらそれに間に合わず、人類は自ら今の文明を崩壊させてしまうかもしれません。

 だからどうも私自身、こらからの人類社会の事について、未だに楽観主義には立てないんですよね。この今の時代。

 こんな私は心配性なんですかね。。。


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