自燈明・法燈明の考察

従藍而青

 今日は仕事を休んで、昼過ぎから家の中の掃除などをやっていました。仕事を休んだと言っても在宅勤務なので、家にいる事に何ら変わりないのですが、会社のノートPCを立ち上げず、何も連絡が入らないので、かなり心理的にはノンビリできるというものです。

 さて今日は「従藍而青」という言葉について、少し記事を書いてみたいと思います。

 私が二十代前半の頃、創価学会の池田会長の長編詩「青は藍よりも青し」の中でこの言葉を引用していました。まあ今から考えるなら、この長編詩も誰ぞの創作なのだろうかと考えてしまいますが、当時、若い私は池田先生から青年部への激励だと、感激して読んでしまいました。



 この言葉は天台大師が摩訶止観にあるもので、「藍[あい]よりして而[しか]も青し」と読み下すと言います。もともとは中国の思想家・荀子[じゅんし]の「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」を踏まえた言葉で、意味合いとしては藍染めの様に、繰り返し、繰り返し染める中で、藍色よりも鮮やかな青色になる事から、修行を繰り返す大事さや、師匠と弟子の関係で、弟子が師匠よりも勝れた存在になる事を指した言葉だと言います。

 私が二十代で先の長編詩を読んだ時、先輩に言われたのが「従藍而青とは弟子が成長して師匠を超えていく事を指していて、池田先生も私達弟子たちが、池田先生を超えるほどの成長する事を望んでいる事を詠まれたんだ」なんて教わりもしました。

 それから三十星霜以上の時が過ぎました。
 毎度の事ですが、今の創価学会を見ると、まあ残念なものになったと思います。信濃町幹部もそうですが、国会議員や地方議員、果ては地域にいる組織幹部に至るまで。
 なぜこの様な醜態を晒す組織になってしまったんでしょうか。そこを考えてみると、単に「池田門下が情けない」という様な、単純な話でもないと私は考えています。

 今の私は、創価学会の求めている師弟関係を、池田会長との間には持っていません。自分自身で考えてみても、池田会長を師匠と若い時には考えもしましたが、その重要なつながりを示す「人間革命」という小説が、篠原善太郎氏の代筆であったと解った時点で、その関係性は崩壊しました。小説だけではありません、SGI提言や各種の対話と称するものの多くが代筆でした。

 いま創価学会で活動する人達、また池田会長を「人生の師匠」と微塵も疑わない人達からしたら、私のこういった言葉は徹底して責めぬく言葉でしょう。でも私は本来、師弟関係とは、その間に微塵も挟まず、また全人格的な関係の元で師匠から弟子が教わる関係だと思うのですが、創価学会ではそんな事は出来ません。
 池田会長の生声でさえ、同時中継で聞けるのがやっと。また様々な疑問や質問を、直接問う事の出来る関係でもありません。唯一、つながると信じていた「人間革命」や、SGI提言、各種の対話が「代筆」であったと知ったら、その関係はわるのが当然ではありませんか?

 そもそも「従藍而青」を長編詩で詠った池田会長ですが、戸田会長を師匠と呼んでも、自身が語って来たような師弟関係だったのでしょうか。私はそこが甚だ疑問なのです。

 戸田会長は大石寺の外護団体として創価学会を設立しました。そして亡くなる間際まで滞在した場所は大石寺でした。また政治の理想は「王仏冥合」と、それによる「国立戒壇建立」を目指してきたのは明確な事です。だから政治に関しても政党結成も考えてなければ、衆議院への進出も考えていません。

 しかし池田会長は、公明党を設立し、衆議院への進出も行い、大石寺とは袂を分かちました。またそれだけではなく、戸田会長の奥さんも、創価学会による「学会葬」を拒み、宗門で葬儀を行っています。そして近年では戸田会長の音声データすら公開もする事は無いし、戸田会長の色というのは今の組織の中にほとんど残っても居ません。

 どこが「師弟不二」なのですかね?

 私は思うのです。
 そもそも仏教の世界では「師弟」はあっても、創価学会の主張する「師弟不二」なんて言う言葉は存在しません。だから創価学会が主張する「師弟不二」などは存在するわけもないし、当然、戸田会長との師弟関係でも「不二」の関係ではないのです。池田会長は、池田会長として戸田会長の後の創価学会を引っ張ってきて、自分なりに発展させて来た。そう捉えるのが普通だと思うのです。

 そうなのであれば戸田会長と池田会長の関係は「従藍而青」の関係と呼んでも良いかと思います。何故なら、戸田会長の考えは、あまりに大石寺に縛り付けられていて、その軛(くびき)は解き離れるべきだったんですからね。

 大石寺の宗門なんて、所詮は富士宮の山奥にある、日本の一宗派にしか過ぎないのですから。

 でも池田会長は、この戸田会長の時代からの転換に、結果として失敗したのでは無いでしょうか。またそれだけではなく、後継の人材育成にも失敗しています。

 今の信濃町の執行部を「極悪」と呼ぶ人が、現役の創価学会員の中でもいますし、アンチ創価学会の人達の中にもいます。でもその極悪の信濃町執行部を育成したのは、誰なんでしょうか。また同じ戸田門下の人達も信濃町にいましたが、その彼等の影響力を結果として排除できなかった責任は、誰にあるのでしょうか。

 私はこういった事の責めについて、池田会長が逃れる事は無いと思うのです。

 「池田先生は渾身の戦いで、こういった組織悪とも戦っていた」

 そういった意見もあるのでしょうが、結果として今の信濃町の体質を作ってしまい、今では多くに会員たちが、それこそ喜んで宗教貴族化した信濃町の輩から搾取されているのですから、その責任を観ずして、果たして「池田大作」という人物が評価できると私は思いません。

 そろそろ「池田大作」という人物を、一人の人間として各人が評価すべき時に来ていると、私は思うんですけど、そうは思いませんか?

 従藍而藍。
 この四文字の言葉を見るにつけ、そろそろ「池田門下」を自認する人達も、思考転換が必要な時期だと私は考えるんですけどね。

 まあそこは結局、一人ひとりの考え方になるんですが。。。


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