新型コロナ禍は風邪やインフルエンザに似通っているので、人の動きが再開されたら、増加するのは当たり前。増加を抑止するなら、人を閉じ込めない限り無理でしょう。でも世界に目をやると、ロックダウンをやっても今の段階ではあまり意味が無いように思えます。何故ならこのウィルスは、既に余りにも拡散し過ぎた感じがします。こうなると真剣に「ウィズコロナ」を考える段階に入ったのでは無いでしょうか。要は昨年からこのブログに書いていますが、新型コロナがある前提の社会構築です。
本当ならこの辺りは政治が主導権もって進めて欲しい事ですが、どうもそこは機能不全感が否めませんね。
さて今日のお題です。
私は創価学会の男子部時代には、創価班という人材グループに居ました。この創価班ですが、内部は三本柱で構成されていました。一つは「運営部」、もう一つは「大学校」、そして「広宣部」です。区幹部以上の任命は、聖教新聞の地方版に紹介されますが、広宣部の役職は正規に発表される事はありません。これは今でこそ創価学会には広宣部云々と言われる様に、認知されていますが、当時は男子部幹部でも知らない人が多くいました。
またこの広宣部ですが、当時は男子部のライン幹部からは疎まれてましたね。教学を徹底して学んでいたので、幹部に対しても理論的に弁立て反論する人も居ましたので、創価班の広宣部活動中というと、私も当時の先輩からは眉間にシワを寄せられた感じでした。
広宣部に入る前、宗門との間がきな臭くなり始めた頃(第二次宗門問題)に、私は様々な先輩に前回の宗門問題の出来事について質問しましたが、誰もがみな、口を噤んで話してくれませんでした。しかし広宣部に入って過去の歴史を見てみると、要は池田氏(池田先生とか呼んでましたが)を学会本部から追い出して、宗門と共にという方向で創価学会が舵を切っていたという事を知りました。
これでは確かに表立って言えませんよね。だって「センセー!センセー!」なんて連呼する大幹部達も、そのセンセーを学会本部から追い出したんですから。よく宗門問題を「弟子が師匠を裏切った日」と言ってましが、その意味を理解しました。
またある時、当時の先輩に呼ばれて自宅に伺ったことがありました。その時に先輩から教えられたのは「宗門問題の本質」について、でした。要は創価学会の中にも宗門同様の問題点は存在する。その問題点を宗門という対鏡を使い燻り出す。それが今回の宗門問題の本質だと言うのです。だから斎藤くんは、その事を忘れずに取り組んでもらいたいと。
当時の私は24歳、役職は地区リーダーのぺーペーだったので、そんな事はよく理解出来ませんでした。でも広宣部を長きに渡り取り組み、総県幹部となり、本部運営でも役職者になってみると、この先輩の言ったことが良く理解できました。
宗門同様の代々職員の存在、閨閥・学閥主義の横行、権威権力に脆弱な体制、贅沢好きな高給取りの職員幹部等など。当時は「日顯宗」なんて呼んで蔑んでましたが、それは即ち信濃町を中心にした創価学会の体質その物でした。
宗門よりもたち悪いのは、こんな創価学会が公明党という政党を持ち、日本の国政に深く関わっている事です。しかも創価学会が推し進めている集票活動は日本の民主主義の根幹を破壊する行為です。宗門は確かに酷かったですが、日本の政治構造に食い込んで国家を壊すまではやってません。そういう意味から創価学会の方が何倍も宗門より悪質だと言えるでしょう。
多分、宗門問題が起きた頃には、先の先輩が言うように、創価学会を改革しようと真面目に考えていた人達もいるのでしょう。しかし私は最近になり、あの第二次宗門問題というのも、所詮は創価学会の信濃町の内部抗争が吹き出した事だったのではないかと考えています。当時、戸田会長の三十三回忌に池田氏が詠った和歌。
「大法要、仇を打てとの響きあり、君らの使命と瞬時も忘るな」
これは当時、対宗門に対して詠まれたと教わりましたが、もしかしたら信濃町の学会本部に向けたメッセージなのかもしれません。現に今では池田氏は利用される「人寄せパンダ」となり、第一次宗門問題当時の大幹部が息を吹き返し、創価学会を率いています。
だからと言って、私は池田氏の事を正義とは考えていません。池田氏は中国共産党の毛沢東の様なもので、第二次宗門問題とは、毛沢東の起こした文化大革命と同質な出来事。そして当時の広宣部や青年部は紅衛兵の様な存在なのかもしれません。
今の創価学会の幹部の多くに、広宣部出身者は多くいます。しかしこの過去の出来事について総括している人はいないでしょう。だから今では多くが支部長や本部長、区圏幹部や議員となり、創価学会の信濃町に阿諛する活動に精力的に取り組んでいます。
でも自分達が若い時代に取り組んだ事くらい、少しは総括してほしいものですね。