本日知人に見せてもらったのですが「進む会」の申込書とか、次の衆議院選挙に向けての資料が、どうやら創価学会の末端組織に配布されているようです。ちなみに私の所には、私自身が公明党支援をしないという事を公言しているので、こういった資料は当然の事、一切来る事はありません。
今の日本社会では新型コロナウィルスの感染拡大が進んでいて、医療機関のひっ迫が懸念されています。沖縄県においては、独自の緊急事態宣言を出していますが、今日本の中では、このパンデミックに関する動きは地方自治体が中心になって動いている様に見えています。
本来、国として感染症とどの様に向き合うのか、それは中央政府の役割が大きいと思うのですが、どうやら安倍自公連立政権には、そういった意識はない様です。感染対策は基本的に地方自治体に丸投げしている様にしか見えません。
2月末頃から感染拡大が社会の中で注目され始めましたが、その時には「インフルエンザや風邪同様、夏には感染拡大の勢いは一旦落ち着くはずだ」という予測もありました。しかし八月の真夏の現段階に至っても、この感染症の勢いが落ち着いている様に見えないばかりか勢いを増して見えています。
このまま秋口から冬を迎えた場合、こういった感染症の感染拡大は通常、勢いを増すと思われますが、夏本番のこの時期でもこの感染力を保っているという事を考えると、この先、どうなるのかとても心配になってしまいます。
そもそもこの新型コロナウィルスを「指定感染症」にしている事から、医療機関に大きな負担をかけているという意見もあります。では果たして今の状況で今後も対応を進めて良いのか、また法整備としてどうなのか。等々。国として議論すべき事は多々あると思うのですが、政府与党(自民党・公明党)は国会召集は必要ないと考えている様です。
現在の事ではなく、これから来るであろう、秋口から冬に予想される感染拡大を考えた時、国というのは初動に時間がかかる事から、今の時期に政府与党は早急に国会を開催すると共に、与野党間で単なる「足の引っ張り合い」の議論ではなく、国民の生活を守るべく議論を進める必要があると私は思えてならないのです。
今の自民党や公明党、またそこに所属する国会議員達は、何を考えているのか、私には全く理解が出来ません。
またこういった事について、公明党の支援組織(というか公明党の実質的な本体)である創価学会の活動家という人達も、もう少しこの事を真剣に考え、この時期に衆議院選挙の準備をするのであれば、組織内でこの新型コロナウィルスの今後の対策について、本来は議論を活発化すべきです。そしてその議論では公明党や自民党を支援する・支援しないも含めて幅広い議論が必要な時だと私は思うのです。
少なくとも創価学会として数百万票を持っているのですから、今の政権与党に大きな影響力を行使できる人達が集まっているのです。だからそういった責任は当然、創価学会の会員は持ち合わせている事を自覚すべきではありませんか。
政治に関わる事、第二代戸田会長は「政治を監視せよ」と遺言しているのですから、こういった事は当然行われなければなりません。
まあ、ここまでは「本来あるべき論」の話ですが、実際には創価学会にその様な動きを取る事が出来ない事は、過去に活動をしていた経験から、私は百も承知しています。
何故その様な動きを取る事が出来ないか、その理由についてこれから書いてみます。
◆選挙を目的にしている錯誤
創価学会では昭和三十年代に選挙活動を始めてから、一貫して選挙を「手段」ではなく「目的」として会員たちに刷り込みを行ってきました。これを端的に言えば、当時の創価学会は立候補した人を当選させる事が目的でした。そしてそこには「国立戒壇の建立」という大目的があり、議席を獲得する事を目的として活動を進めていたという理由があります。
しかし第二代戸田会長も否定的であった衆議院に、第三代池田会長の時代には進出、しかも戸田会長も否定していた政党化として公明党を設立したのです。そして昭和四十年代には共産党から「政教一致」を指摘されると、政党である公明党と宗教団体である創価学会を形式的に分離し、それまで目的としてきた「国立戒壇の建立」という事も取り下げました。
こういった歴史的背景を知っている人、恐らく今の創価学会には少ない事でしょう。
細かい理屈なんて必要ありません。
そもそも宗教団体として政治活動をしてきた目的を変更し、それだけでなく第二代会長も想定していない公明党を設立し衆議院へ進出したのですから、その段階で自分達が取り組む選挙運動についても、「目的」から「手段」へと、創価学会の組織の中で考え方の切り替えを徹底すべきだったのです。
しかしそういった事を一切行う事もせず、創価学会の組織では相変わらず選挙運動は「目的」であり「手段」とは教えません。これには恐らく議員になった人達の反発や、そこに既に作り上げられた利権構造があった事が想定されます。
その結果、現在に至っても活動家幹部の人達の中には、信仰活動の延長として議席の確保があり、本来、民主主義の考え方の一つである「自分自身の政治信条の代弁者を選択する」という思想すら組織内で醸成される事が出来なかったのです。
創価学会と公明党を分離した時点で、創価学会の選挙についてもフリーハンドで公明党も他の既成政党と同列として、会員一人ひとりに選択させるべきだったのです。組織内で従来、首長選挙で取って来た行動と同様に。
でもそれをやったら、公明党の議席はほぼ消失していたと思います。
◆組織内の同調圧力
創価学会の末端組織の活動家幹部は、基本的には「善人」が多くいます。中には組織を利用する輩もいたりして、そういった輩を追い出す自浄作用は近年特に弱まっている様にみえますが、基本的には善人で皆が真面目な人達です。
特に役職(正役職)を持つ人達は責任感も強いので、基本的には組織の意向に反する行動を取る事には大きな躊躇を感じる事から、みなが信濃町本部の意向にそう形で行動を取ろうとします。
創価学会の組織内には、同調圧力と共に選挙であっても信仰活動の一端に組み込まれているので、猶更、組織の意向に反する行動を取る事が出来ないのです。
活動家幹部であっても、今の公明党の行動に疑念を抱いている人は多くいます。しかし疑念を抱いていたとしても、自己の宿命転換のため、また祈りを叶えるためには、信仰活動を進めなくてはなりませんし、それを担当している組織内の会員に勧奨していかなくてはならないのです。自分自身の「狭い境涯」の判断で、会員達の信仰活動(信心)を止めてはいけない。ここでいう信仰活動とは、選挙運動中には集票活動を指しますが、その様に考えているのです。
結果として、個人的に公明党に疑念を抱きつつ、選挙運動では公明党の議員を信濃町本部の意向に沿う形で支援をしている。それが創価学会で進める選挙運動であり、公明党がこの状況であっても数百万という票を取得するカラクリと言っても良いでしょう。
◆強かな自民党の読み
自公連立政権を考え、それを実現したのは野中広務氏(元自民党幹事長)だと言われています。自民党の党員数は凋落の状況がある中、それを補完する勢力として創価学会(公明党)を取り込もうと考え、今の自公政権の青写真を描いたと言われています。
もともと学会は日蓮正宗の信徒団体で、静岡県富士宮市の大石寺を拠点として寺院や墓地絡みの土地転がしや建設工事で利権を貪っていた。そこは山口組切っての武闘派・後藤組のナワバリだったので、学会の揉め事は後藤組が片付けていたわけです。その中で学会と後藤組の間にイザコザもあったが、公明党の藤井富雄がパイプ役として後藤組組長の後藤忠政と密会を重ねながら、両者の関係は続いていった。
そして1996年、この二人の密会ビデオが自民党に流れるわけです。当時「公明」代表だった藤井は弱みを握られた。それで自民党は野中広務を中心に揺さぶりをかけ、自公連立の流れができたのです。野中は自公連立について「叩きに叩いたら向こうからすり寄ってきた」と答えたそうです。
そして1996年、この二人の密会ビデオが自民党に流れるわけです。当時「公明」代表だった藤井は弱みを握られた。それで自民党は野中広務を中心に揺さぶりをかけ、自公連立の流れができたのです。野中は自公連立について「叩きに叩いたら向こうからすり寄ってきた」と答えたそうです。
(佐高信 安倍政権・創価学会の〝野合〟 月間日本 から抜粋)
これは過去に公表された事ですが、恐らく事実ではないかと私は思うのです。この記事は2016年に公表されているのですから、事実無根であれば、創価学会として会員・元会員に対してスラップ訴訟を進めている「優秀な」弁護士たちがいるのですから、名誉棄損でも何でも訴訟を起こせば良いだけではありませんか?
でも実際にこういった事について、末端組織の幹部には「事実無根」と教えながら、信濃町ではダンマリを決め込んでいるのが現実なのです。
つまるところ、自公連立政権というのは、自民党が創価学会を利用し、創価学会でも利用される事で、自分達の闇の部分を隠蔽しているだけという関係としか、私は思えません。
今の日本には様々な難問が山積しています。
これらを変革させる根本的な可能性を秘めているのは、創価学会であるはずなのですが、肝心要の創価学会の活動家幹部達には、そういった自覚が微塵も醸成されていないという事に、彼らの不幸を感じてなりません。