さて今日は結婚という事で、少し記事を書いてみます。私は今の嫁と結婚して、間もなく二十年になりますが、人生とは早いものですね。
嫁と知り合ったのは、創価学会の中で、長年にわたり付き合いのあった夫妻の紹介がキッカケでした。私は当時、男子部で本部長をしていた時代。その知り合いの奥さんからは「斎藤くんには、彼女なんて紹介できない」と常々言われていました。その理由は「忙しすぎるから」というものでした。
そりゃ朝に自宅を出たら、仕事をして、仕事が終わると会館へ行くか、会合に行くか、もしくは部員の家庭訪問しているかの何れかであり、そういった学会活動が終わる深夜になると、大抵は会社に戻り残務を片付けていて、帰宅は何時も午前様。そんな状況でしたので、彼女とか付き合う様な時間なんて当然ありません。
しかし何があったのか判りませんが、その夫妻が当時住んでいた地域の女子部の部長だった今の嫁を紹介してきたのです。
嫁の実家はその地域の拠点であり、両親は長年、創価学会の中で頑張っていた人で、嫁も女子部としてコツコツやっていた様です。結婚した当時、嫁は二十代後半でした。
結婚後、私は区書記長や区男子部長、そして県幹部をやりました。特に区書記長や区男子部長時代には、新婚間もない時期にも係らず、深夜まで地元男子部が入れ替わり立ち代り我が家に来ていましたので、苦労をかけたと思います。
そんな嫁も今や四十代後半で、仕事をしながら、また聖教新聞の正配という配達員をしながら、地区婦人部長をしています。しかし肝心の旦那(私)は、男子部では県幹部をしていましたが、今では立派な未活動家となっています。また子供も二人いますが、未来部であっても子供達は活動家ではありません。
私が四十代になり「活動を止める」と宣言した時、嫁はとても残念そうな寂しい表情をしていたのは、今でも覚えていますが、私の置かれた状況や、私の辛い想いを理解してくれたので、その事はとても感謝しています。また嫁の両親も、その事を特に責め立てる事もなく、今でも同じ様に行き来しています。
よく私はネットで創価学会について様々な事を呟いたりしていると「なぜ脱会しないんだ!」とか「さっさと止めろ!」という言葉を投げつけられますが、こんな家族も居るので私は創価学会に未だ籍を残しているのです。
嫁は地区婦人部長をしていますので、最近の女子部の結婚相手の人物観についてよく話をしてきます。(主に幹部の結婚観ですが)それは以下の様なものです。
・結婚相手は正社員で年収がしっかりした人。
・尚かつ安定した職場に勤務している人。
私の地元組織の男子部ですが、聞く所では派遣社員も多くいたりして、年収もそれほど稼げていなかったり、または職人や自営業だったりしてます。だから今の男子部活動家では、女子部幹部のお眼鏡に叶う相手はいないようです。
思うに結婚というのは、確かに収入やそれを保障する職場に男性が居るというのは大事なのかもしれませんが、それだけに重きを置くのはどうなのか。そんな事を嫁に話しすると、嫁も苦笑いしていました。人生とは様々な事があり、結婚した後に様々な出来事に遭遇します。例えば「派遣社員は嫌だ!」と言ったところで、事情により旦那が派遣社員になる場合もある訳で、そんな時はどうするんでしょうね?
まあこんな私もここ十数年、派遣社員として生きています。でも努力して、何とか生活を維持できる収入は得ています。
そんな傾向もあるせいか、女子部幹部で未婚率もかなりある様に見受けられたりして、そんな女子部幹部に「婦女一体」とばかりに婦人部のお偉いさんがくっついて動いているようてすが、バリバリご婦人が若い女子部にくっついていて、果たしてそれで大丈夫なのか、余計なお世話ですが心配にもなったりします。
私も嫁とは結婚してから様々な事がありましたが、何とか二十年近く離婚をせずにここまで来ました。私は創価学会の活動からも離れており、偶にですが嫁の活動に釘指す事もあるのですが、そんな事を言われながらも嫁は活動しつづけていて、何とか日々過ごしています。
長年付き合いのある友人に言わせれば「そりゃ斎藤の嫁さんも大変だろう」と言われます。この友人は活動には参加していますが、やはりそんな中で矛盾を感じると、夫婦で話をするそうです。でもそんな時には大抵、夫婦喧嘩になるそうです。
思うに結婚とは、異なる文化(これは家族文化と言っても良いでしょう)の人間が、共に共同生活をすると言う事で、その生活を維持するにも、ある意味で不断の努力が必要な事の様に思います。なぜそれまでして結婚するのか、そこには様々な理由がある訳ですが、努力を忘れたら、簡単に終わってしまうのかもしれませんね。
けして「同じ信心していらから、一家和楽で上手く行く」なんて単純なモノではないでしょう。
これから果たして何年、今の嫁と添い遂げられるのか、そこは当に「仏のみぞ知る」という領域なのかも知れませんが、私としては、小さな努力を積み重ねてでも、共に生きて行きたいものだと考えています。