最近、一部の界隈で話題になっている事で「ワクチンパスポート」というものがあります。これはいまでも進められている新型コロナワクチン接種にまつわる事ですが、昨日菅総理が新型コロナ関連で以下の基本方針を発表しました。
これは「感染拡大地域でもワクチンを接種済みであれば、県をまたぐ移動を原則として認め、イベントの収容人数の上限を引き上げる。飲食店での酒の提供でも制限を緩め、日常生活を取り戻す取り組みを進める。」というもので、これは今の世界の中で進められている「ワクチンパスポート」に準する内容となっています。
そもそもワクチン接種は、接種した人がウィルスに感染しても、重症化せずに済むというものであり、感染を防止するものではありません。最近でも「鼻腔内でウィルスは繁殖する」「デルタ株ではワクチンの効果があまり期待できない」という状況なのですが、そのワクチン接種した人を中心に行動を緩和するという事は、感染拡大を増長してしまうのではないでしょうか。
ワクチン接種しても完全に重症化を防げるものではなく、そのワクチンによる抗体が期待できる期間も半年程度。そんな中で「ワクチン接種」により行動の範囲を広げるというのは、人々はこれから先も、新型コロナ禍が過ぎ去るまでの期間、ひたすらワクチン接種をし続ける事になってしまいますが、果たして人々はそれを受け入れられるのでしょうか。
このワクチンにしても治験期間が短い事もあり、厚生労働省の公式発表では死亡者は千人を越えています。これはあくまでも公式発表の数字であり、実際には二万人前後いるのでは無いかという説もあります。現在、接種済みの人数は七千万人と言われてますので、母数が大きい事から、その副反応もそれなりに発生している様に見ますが、現段階での死亡者数は全体からは極微に見えます。しかし通常は2~3年程度の治験期間を設けるものなので、どの様な不反応が起きるのか、また多く接種する事による人体への影響も未知数であり、まだまだ予断を許さないのではないかと私は思っています。
そしてこのワクチンにより「接種の有無」という事から、いま社会の中では分断が起きているのも事実です。危険性を知った人の中には接種拒否の動きがあり、新型コロナの感染・発症に恐怖を持ち、従来の安心安全の社会に戻りたいという人は接種を受けています。そしてこの両者の間には、今現在、「静かな軋轢」が起きています。
私が生きてきた半世紀の中でも、社会の中がこの様に分断されたという事は記憶になく、いまの私たちは過去に例の無い社会を生きていると思うのです。
◆十界論に見る理性と感情
ここで少し視点を変えて、十界論について再度書かせてもらいたいと思います。十界論とは天台宗の「仏祖統記」に書かれているもので、人の心の動きを分類した論です。
(以前に書いた記事です)
十界論を俯瞰してみると、地獄界から天界までの六界はそれぞれ「感情の心」であり、声聞界から菩薩界の三界は「理性の心」であると思えます。そして仏教でいう「六道輪廻」とは、感情に突き動かされる心により、動かされている状況を指し示し、三乗(声聞・縁覚・菩薩)とは、そういった感情ではなく、理性を持った心による自律の動きを指すのではないでしょうか。
また一念三千という論では、十界互俱という事が述べられていますが、これは感情の心と理性の心は、人の中で常に相互作用をしながら、人の瞬間瞬間の行動に影響を及ぼしている事を述べているとも言えます。
そして「仏界」というのは、この様な感情と理性という心の働きを起す根源的なものとして述べていると私は理解をしています。「九界即仏界」「仏界即九界」という日蓮の言葉も、その事を指しているのではないでしょうか。
◆感情は分断を、理性は相互理解を
またここで少し観点を変えてみます。先ほども書きましたが、社会の分断を呼ぶものとは、実は「人々の感情」ではないでしょうか。今回の新型コロナ禍で言えば、新型コロナに感染してしまうかもしれないという「恐怖の感情」、またワクチン接種については、未知の部分のある薬品を体内に接種するという「恐怖の感情」。様々な感情が渦巻く中で、「新型コロナ」という状況を中心として人々の中で分断を起こしているのが、今の社会の状況だと思うのです。
この様な分断を埋め、相互理解を進めるには、やはり人間の持つ「理性」に依らなければならないと思うのです。感情的にさんざめく心を飲み込み、智慧を持ち(二乗の心)、他者への配慮や思いやり(菩薩の心)を、一人ひとりの中で自覚させ、そこから相互理解を進めて行くしかないと思うのです。
動物とは感情の赴くままに行きますが、人はその感情を理解して、統率できる理性を持ち合わせていますので、やはりそこへの理解を深めていくしか、分断を埋めていく事は出来ないでしょう。
また仏教とは、そういう事に人々の理解を深める為の先人からの智慧なのかもしれません。
実は今の人類社会に求められている事の一つに、こういった事もあるのではないか。私はそんな事を考えたりしています。