自燈明・法燈明の考察

後期高齢者医療費について

 今回は後期高齢者医療費について少し記事を書いてみます。

 X(旧Twitter)でこの後期高齢者医療の事について話題になっていました。これについて昨年の7月の記事がありましたので紹介します。

 

医療保険「今のままでは持たない」 高齢者医療への拠出金重く 健保連・佐野副会長らに聞く(上):東京新聞 TOKYO Web

少子化対策の新たな財源確保のため、政府は医療保険料の引き上げを検討しているが、現役世代の保険料は医療費の増大で、年々膨らむ一方だ。財政...

東京新聞 TOKYO Web

 

 一年以上前の記事ですが、これによれば後期高齢者医療制度による健康保険組合の拠出金が大きく増えてきた事で、その負担が現役世代にそのまま圧し掛かってきており、この先には健康保険組合が破たんしてしまうというのです。

 これは由々しき事ですよね。

 これから先、団塊の世代もこの後期高齢者になっていきますし、そうなるとこの高齢者医療費もより増大していく事にもなり、そうなると国民皆保険の健康保険制度は崩壊してしまうでしょう。

 この事で、ネットでは様々な意見が出ていますが、その殆どが世代間抗争の様相になってきています。

 「高齢者は高額医療なんで受けずに、寿命と受け入れろ」
 「なんで若者が、高齢者がサロンの様に通院している医療費を背負わなければいけないのか」
 「高齢者の医療費を支払わなければ、もっと楽になるのに」等、etc。。。

 まあ確かに若者からすればそう考えるのも無理がありません。近年では若い世代の収入も減収していますし、そんな中で給料から天引きされる保険料は大きな負担になっているのは事実です。
 以前にイェール大学経済学部アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏は、2021年末に、あるネットニュース番組でこの件に関連して「僕は唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自殺、集団“切腹”みたいなのしかないんじゃないでしょうか?」という発言をしました。

 この成田氏の発言を受けて、以前にあるテレビ番組に出演していた高校生も「老人は自決すべきだ」なんて発言をしているのを見た時には、私は何やらうすら寒いものを感じました。

 私の父親は大腸がんにより十年程前に亡くなりましたが、この後期高齢者保健制度には頼っていませんでした。幾度かの手術や治療を受けましたが完治には至らずに亡くなりました。また昨年、母親も亡くなりましたが、こちらは痴呆症もあって三年前から介護施設に入所して、最後は心臓衰弱と肺炎で亡くなりました。母親の場合には持病があったので、月に1回は病院に通っていましたが、それ以外は特に病院で治療を受けるという事はありませんでした。

 確かにある年齢以上になったら、自分の寿命と向かい合い、「死ぬタイミング」という事を考えなければならない時が来るのかもしれません。私の母親は以前から「無理してまで管だらけにされて生き延びたくない」と言っていたので、昨年の亡くなる前には介護施設に「看取り方」を聞かれた時にはその様に答え、過度な医療行為をしない事を病院側にも伝えてもらう様にお願いしていました。

 確かに病院へ行くと高齢者の姿は確かに目立ちます。

 ただ私が通院などで通う病院を見ている限り、それこそ「サロン」の様に病院待合室で談笑している老人を私は見た事がありません。どちらかと言えば、年齢に伴う体の不調が増えた事から、致し方なく病院に来ている人達が大多数なのではないかと思うのです。かく言う私も月1回、内科クリニックに通っては診察を受け、薬を貰っていますが、出来る事なら病院なんて行きたくありません。

 2022年に「PLAN75」という映画が上映され話題になりました。これは国の制度として75歳になったら老人に安楽死の選択を与えるという社会の中で、身寄りのない老女を倍賞千恵子が演じ、老女がこの制度をどの様に感じるのかを描いた作品で、見ていてとても考えさせられました。

 いまネットでは、この後期高齢者医療費の負担増で「老人は寿命だと思ってあきらめるべき」「老人は早く死んだ方が良い」みたいな意見も多く見られますが、果たしてその意見を言っている人達は、自分自身が老いていく事、老いに伴い病を得る事が増加する事、そしてその先に自分自身も死んでいく事を、どれだけ考えて発言をしているのでしょうか。

 私はこの後期高齢者医療費の件は、世代間抗争にしてはいけないと考えています。

 確かに日本国として、国庫財源は目減りしてますし、景気後退から国民一人あたりの収入の増加も見込めません。しかし一方で、岸田総理は顕著でしたが、諸外国に「経済支援」という名目でばら撒きを行っています。最近話題になったのは、ウクライナ支援の為に今後日本は60兆円を彼の国に支出していきます。これはウクライナ人の年金を日本が支払っているとも言われていますし、ウクライナの役人がそれで増えた収入で高級車を乗りまわしている話も、少し前には話題になっていました。

 私はこの後期高齢者医療の問題も、政治の問題だと考えています。

 政治家たちが真剣が考えて、頭を捻らせて霞が関を動かしながら、本来は解決に導くべき問題だと思うのです。その真剣な議論や検討の上で、国民側に「我慢する事」を提示して、進めるべき事だと思うのであり、今の様な若者と高齢者の世代間の対立議論に持っていくべき話では無いと思うのです。

 しかしどうなんですかね。日本人社会そのものが、政治に無関心であり、社会の問題解決の取り組み方をあまり理解していない事から、実は今の様な世代間の対立議論になってしまっているのではありませんか?

 考えてみればOECD加盟国でGDPの下落が止まらず、いまや発展途上国なみになってしまいましたが、外国の有識者は「日本人は真面目で勤勉、そして頭も良いにも関わらず景気不振になっている。これは政治の問題だ」と喝破していました。しかし当の日本人は、情報もテレビや新聞などのマスコミからしか得られず、どうも問題の本質まで辿りつくのが困難な様なので、この問題もそう易々とは解決できないのかもしれませんね。


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