シュメール文明以降のカレンダーと、縄文時代のカレンダーの批評による成立時期推測
シュメール文明で作られたカレンダーは現代のカレンダーと同質のものであったと考える。
星を見て一年の暦を作り、月の周期は無視した曜日を用いるというものである。
シュメール文明でカレンダーが作られたときには、狩猟採集の時代は既に数千年の過去のものと成り
農耕が主な社会だったものと考える。
そこでは旧石器時代から狩猟採集まで使用されてきた月のこよみ、月齢を曜日で知るという暦は
必要なものでは無くなっていて、農耕と社会生活維持の道具で有れば良いとなっていたことから、月齢と曜日の相関は必須のものでは無くなっていた。七曜という名目のみあれば良かった。
つまり現代のカレンダーと同等のものであったと考える。
一方狩猟漁労採集を生業として残しながら、農耕も生業の一つとして取り入れていた
縄文社会では、月を見て生業を進めるため、月齢を曜日で知るというこよみが必須とされていて、そこに農耕が必要とする太陽暦が入ってきたことで、月のこよみと太陽暦を併用する社会となっていたものと思う。
そこでは月と太陽のこよみを如何に上手く整合させられるかが懸案となっていた。
図
それは二十四節気の暦が作られることで解決され、太陽と月の満ち欠けをシンクロさせたカレンダーの
誕生となった。追加---カレンダーの目的は貝採取であり、貝採取の最適な時期 季節を知るためのものというのが最大の目的だったのでは無いか、そのことは中里貝塚の巨大貝塚から知ることになる。
図 3関係の土器
これは縄文中期の社会で大変なセンセイションをうみ、喜びを持って迎えられて、この時期
カレンダー誕生のキイとなった 3 が各種の土偶や土器に、土器の文様として、広く造形されることになった。
従って、シュメール文明の暦は、生業を進める上で月の満ち欠け周期を知ることは、もはや必要としていない時期に作られていたものでは無いか。
月の満ち欠け周期を、正確に取り入れている縄文時代のカレンダーは、より古い文化を残しているものでは無いかと考えるので成立時期はメソポタミアより古いものと考える。。
このようにしてメソポタミア発の現代のカレンダーの問題点は農耕のみに立脚していて、月の恩恵を忘れたこよみとなってしまっているからでは無いか。2024.11.21
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