4突起土器が造られるようになったのは、始まりは何時からか
図 表裏縄文土器 4突起土器 4波状口縁とも
縄文時代早期初めの表裏縄文の時期に
栃原岩陰遺跡 長野北相木町(縄文早期)で
4突起土器が出ていた。
この土器の文様は、山型押型文である
押型文土器は、東日本で早期前半に成立した土器です。この形式は太陽暦との関係から、特殊性の高いものかも知れない。
南九州地方を除く西日本では、早期の前葉段階まで、それより古い草創期段階の「無文土器」と「条痕文土器」などが作り続けられていましたが、早期中葉段階に東日本から押型文土器が伝わりました。西日本の押型文土器の多くは放射性炭素年代測定で約 12,000~7,000 年前頃のものと考えられています。
栃原岩陰遺跡の土器は、11000年前と測定結果がでている
11000年前という測定結果がでている
図 土器形式年表
この時期に既に一太陽年が知られて
数学知識レベルはまだ低いため
365日を扱うことは出来ず
182日ベースで暦を造っていたと考える。
四季と季節の始まりを知るためのこよみとして
半年四分暦
冬至から45日の春の初め 立春
夏至から45日 秋の初め 立秋
これを既に知っていたのでは無いだろうか
図 突起土器の年表
図 文明開始までの年表
図はお借りして補足しています
出典 栃原岩陰遺跡 @長野北相木町(縄文早期)
https://ameblo.jp/20190831-0925/entry-12827694242.html