金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代の再生

縄文時代が文明の扉を開いた

文明とは太陽暦と太陰暦の開発がその始であった
その後、現代の文明に繋がる古代文明が、支配者が自然を支配するための暦を開発して、自然破壊を開始した

今、その文明はたった5000年ほどで行き詰まりを見せ始めている
ついに縄文時代10000年の持続性を見直すときとなった
縄文文明の破壊は、現代文明に繋がる古代文明の破壊力の前に破壊されたものであり
力による破壊、現代の自然破壊は同じ力による地球環境の破壊である。

その根源は、太陽暦と太陰暦を共存させない、計算による暦支配から始まるものである。
今も太陽暦は計算により決められており、太陽暦 地球の公転と自転 に正確に従っているものでは無い。
自然との共存を図るためには、真っ先に地球と月の運動に適っている暦に従う生活を取り戻し、何も特別考えなくても、自然を認識することが出来る生活に戻すことから始まるのでは無いだろうか。

これからは、太陽暦に従った雑穀農耕を行う、破壊された縄文文明10000年の持続性の再生が避けられない。

 

ーーーーーーーーーーーーーー初稿 2023.06.13 

人類文明 新石器時代の始からの技術習得の歴史
1.新石器時代の始に開発された土器は、その後の
縄文人の生業開発の進展に伴い、その画期となる道具の開発状況を
粘土をメディアとして、縄文土器の模様として記録されていた。
それは縄文土器と呼ばれるに相応しい土器の造られた時代に相当する。
豆粒文土器以後から羽状縄文土器までの期間になる。
土器年表

2.太陽暦の開発プロセスは、土器の口縁に突起として造形して、数を記録していた。
縄文早期から 2,6、4、8、12、3、5、7 という数字で開発進展が記録されていた。
土器年表

3.農耕開始までの植物栽培の歴史も
土器をメディアとして記録されていた。
豆粒文土器以後、粘土に豆粒を混入して成形した土器までが残されていた。
土器年表

4.縄文土器を作っていた時代、土器も太陽暦も、
シュメール文明やエジプト文明の開始より1000-2000年前に開発しており、
この時代年代差からは、縄文文明から太陽暦などや土器制作技術など、そうした技術が伝来していた可能性が考え得る。

縄文時代の土器は前期半、諸磯式土器の時代以後、生業開発が終了したことから、縄文模様は排除されていた。

 

図と表はお借りして、一部補足しました。


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