鬼海カルデラ噴火による西日本の滅亡
西日本は7355年前の鬼海カルデラ噴火により
西日本の貝塚などが壊滅していた、生態系も壊滅していたのではないか
図 年表
図 鳥浜貝塚の壊滅
図 東名遺跡の廃絶
図 曽畑貝塚 噴火後
図 人口推移
西日本の弥生までの人口の少なさが際立っている。弥生まで、稲作が始まるまで人口は回復しなかった。この原因は鬼海カルデラ噴火の降灰災害。最近よく出てくる南海トラフと富士山が噴火したらどうなるかが心配になる。
図 縄文の国々
西日本は照葉樹林ではあるが
この低迷は降灰による自然破壊の影響があると考える
西日本の土器様式の発展の少なさが際立つ
これは鬼海カルデラ噴火により西日本が30センチ前後の
火山灰に覆われた事による自然破壊で
生態系が失われ、住環境が失われていたことが原因では無いか
小林達雄(國學院大学名誉教授)は、住居が円形に並ぶ「環状集落」を「縄
文モデル村」として提唱されました。しかし西日本では環状集落は形成されず、住居跡は1遺跡で1棟発見できればいい方で、とても円形に並ぶほどの数は検出されません。
図 貝殻造形の土器
内陸ではこのような貝殻文の土器がでいる、諏訪、群馬、埼玉など各地から。これらの出来は、西日本から避難移住した人々により作られたものでは無いか。
引用しますーーーーーーー
1980 年代、小林達雄氏(國學院大学名誉教授)は、住居が円形に並ぶ「環状集落」を「縄
文モデル村」として提唱されました。
しかし、志津見・尾原地域の広範囲を発掘しても住居跡は1遺跡で1棟発見できればいい方で、とても円形に並ぶほどの数は検出されません。
現在に至っても「環状集落」は西日本では発見されず、「縄文モデル村」は東日本でのモデルだったのです。
私は、志津見・尾原ダム関連の調査成果から、西日本の縄文時代集落は広い範囲に小集落
が10 か所程度点在する状態(現在で言う「散村」)だったと考えています。また、これか
ら導き出された島根県の縄文時代後期の人口は 700~1000 人程度と見込んでいます。
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/tayori/inisiewohuru/index.data/15jyomon.pdf
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西田正規氏は、人口密度の最も高い、関東地方の大部分が照葉樹林圏に入っていることに気付き、縄文文化=ナラ林圏説に異を唱えます。西田氏は、関東地方から東北地方にかけて、東日本火山帯が、九州には西日本火山帯が走っていること、日本の上空には偏西風が流れていることを踏まえ、火山性軟岩の分布図を作成し、これが人口密度分布図とほぼ一致すると述べました。
また、小山氏が大阪府、万博記念公園の日本庭園において行った、ブナ科の樹木6種の観察結果によれば、10アール当りの年平均の収量は、照葉、落葉に二分した場合、照葉18.8kg,落葉5.5kgで量的に見る限り照葉の方が生産性が高かったという報告もあります。
ーーーということからも西日本に縄文文化が発展しなかったのは異常としか考えられない。鬼海カルデラ噴火の降灰の後遺症では無いか。