50を超えるツルマメを主体としたマメ科植物の種子を意図的に練り込んで焼き上げた土器と云われ、写真が小さくて模様もマメもよく分らないが、模様も丁寧に造られている様子が見え、これは矢張り祭のための特別な供献土器では無いかと思う。
それは
縄文時代早創期~早期にはマメ類の利用が始まっていたことが分ってきており、縄文時代中期には中部高地と関東西部の諸磯・勝坂式土器文化圏において種子の大型化がみられるという。このようにマメ類が食料としての重要性が、飛躍的に高まってきたので、それを祝って、特別な土器、供献土器として造られていたのだろう。こうしたマメ類などの栽培や農耕には、太陽暦は欠かせないものである。
1個体の土器に100粒以上のマメや、1000粒以上の多量のエゴマが混入される例がある様なので、土器の粘土へのマメやエゴマなどが混入されていたことは特殊なことでは無かったようだ。この土器そのものは見ることが出来ていない。
縄文時代草創期最初に造られていた、豆粒文土器に対応するものとして見て良いと思う。
諸磯、勝坂式土器の時期
図はお借りしました 一部補足しています
引用ーーーーーーーーーーーーーー
58.勝坂遺跡D区出土のマメ圧痕土器(かっさかいせきデーくしゅつどのまめあっこんどき)
最終更新日 令和3年10月19日
マメ圧痕土器の写真
種別 市指定有形文化財(考古資料)
指定年月日 平成28年4月1日
所在 中央区高根3-1-15 相模原市立博物館
記号番号 指-58
内容
50を超えるツルマメを主体としたマメ科植物の種子を意図的に練り込んで焼き上げた土器で、全国的にもきわめて特異な例です。
その意図は明らかではありませんが、マメに対する縄文人のもつ独特な意識を窺わせるものであり、縄文文化の精神性を解明するための手がかりにもなり得るものです。
このマメ圧痕土器は、相模原市立博物館で常設展示されています。
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ダイズ栽培種の祖先種はツルマメ。アズキ栽培種の祖先種はヤブツルアズキ。
栽培起源地は中国とされてきたが、最近は東アジア多元説縄文時代早創期~早期には利用が始まっており、縄文時代中期には中部高地と関東西部の諸磯・勝坂式土器文化圏において種子の大型化がみられる。
中部高地での大型種子は、遺跡数の減少とともに見られなくなり、その後は九州地方を中心に
大型の種子が見られるようになる。
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物語性文様の典型は関東から中部山岳地帯に広がる中期中葉の勝坂式土器様式であり、更にその前後並びに隣接地帯の土器様式即ち十三菩提式・狢沢式・加曽利E式・曽利式や火焔土器・唐草文系土器様式その他である。
これらの土器様式においては、縄文土器は単なる容器或いは調理用品という現実的な用途に留まらず、縄文人の観念を表現する媒体としての注目すべき機能を合わせ持つに至ったのである。
一方ではこれらの土器が現実的な用途とは関わりなく、大迎な突起や把手を付けたり、胴部や頸部などで極端に変化に富んだ屈曲をとらせたりするのである。
つまり土器自体のかたちも又器面の文様モチーフと結んで特別の意味を持ち、やはり縄文人の観念を表現するものと考えられる。
従って勝坂式における顔面把手や蛇形把手或いは火焔土器のいわゆる鶏頭冠などは決して単なる飾りではなく、縄文人の世界観そのものと理解すべきであろう。
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subsp. max),両者の特性をもつ雑種が存在する。
日本列島で最も古いダイズ属の試料は,宮崎県王子山遺跡の縄文時代草創期のツルマメで,その利用が今から約13000 年前に開始されていることが明らかにされている 3)。
縄文時代早期以降,全国でツルマメ型の検出が増加するが,縄文時代中期になると,明らかに野生ツルマメよりも大型の種子が目立つようになる。このことから,遅くとも縄文時代中期には,栽培ダイズが存在した可能性が高まってきた。
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研究の動機 世界最古とされる縄文土器によって、人類の食物史は大きく変
わったと考えられている。縄文文化最盛期の中期には原始芸術として世界
的に評価の高い豪壮な縄文土器が中部山岳地域を中心につくられるが、そ
の背景には食物事情に革命的な変化があったのではないか、縄文文化の
本質を明らかにするためにも植物考古学から解明する必要があった。
縄文農耕論へのアプローチ 長野県内から出土した縄文時代中期を中心と
する土器の種実圧痕調査をレプリカ法を用いて行い、マメ類(ダイズ属やア
ズキ亜属)やシソ属(エゴマ)などの圧痕を複数遺跡で発見した。同時に竪穴
住居址の炉内の土壌を水洗し、多量の炭化マメを発見した。
縄文時代にマメあり! 山間地の遺跡の住居や土器の器壁にマメ類等が混入していると
いうことは、縄文の植物質食生活の実態に直接迫ることができる。食物であるマメ類等が、縄文時代の日常生活の中に恒常的にあったことがわかった。マメ類は縄文中期頃に大型化しており、野生の植物の栽培化を進めていた可能性がある。
① 科研費による研究成果
② 当初予想していなかった意外な展開
③ 今後期待される波及効果、社会への還元
明治大学提供
作成日 2016年2月26日
更新日
縄文時代中期最盛期土器
土器器壁中の炭化マメとその圧痕レプリカ
大型のマメ炭化種子の発見
土器中の大量のマメ圧痕
縄文人のマメの栽培化?!
② 当初予想していなかった意外な展開
・いくらでもある成果 水洗選別による炭化マメの発見は予想外の大きな成果であった。また土器の種実圧痕の発見率は西日本に比べ10倍と、大きな成果をあげることができた。
・多量のマメの存在
1個体の土器に100粒以上のマメや、1000粒以上の多量のエゴマが混入される例を発見した。なぜ、土器をつくる粘土に種子を混入するのか、栽培化を考える契機となった。
縄文は日本の基層文化 日本の農耕文化は、栽培作物がすべて大陸から伝播したとする考えを再考しなければならない。世界史上最も優秀な狩猟・採集民といわれる縄文人は、植物質食物の栽培化をはかっていたことを明らかにしていく。
縄文時代観の変革 この研究によって、従来の縄文時代観を変え、日本の固有の基層文化である縄文文化に対する尊厳を育み、誇りを培うことができると考える。
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勝坂式土器は、西関東~中部地方を中心に分布した縄文中期中ごろの土器型式で、神奈川県の“勝坂遺跡”から出土した土器が標式。
器種が豊富で、大型で器壁が厚い深鉢土器のほかに浅鉢・台付鉢・有孔鍔付土器・釣手土器などが見られる。
文様は縄文の使用が低調で、太めの隆帯を多用しつつ主に沈線や結節沈線などで構成され、粘土隆帯による人体・蛇体・獣類の表現も、この勝坂式土器に多く見られる。
特に粘土ひもによる文様の割付が基本で、その中をシノ竹による文様で埋め尽くし、土器全体を文様で埋めようとする意識が強いのが特徴。
と云うように、縄文土器を代表する勝坂式土器は、縄文がなく、文様が際立って美しい土器であるとは何とも皮肉ではあるが・・・・・。