世界のノーモンの発明者は誰か
ノーモンの機能と発明者については
世界的に明らかにされていないようだ
金生遺跡では太陽暦 二十四節気の暦 の存在は間違いない様子なので
縄文時代には金生遺跡以前からノーモンが使われてきた可能性があるが、その存在を示す遺跡としては、今の所ノーモンの使用は、金生遺跡からと考えても良いのでは。
金生遺跡の立春と立秋の観測施設は正確に作られていた
これを造り上げる方法としては、ノーモンを利用する方法に違いないものと考える。
ノーモンの先駆けは金生遺跡の大配石だったのか
茅が岳のピークからの日の出には、山の高さがあるので、ポイントとなる石棒まで影が届くには、2.4メートル程の柱を立てることが必要。この長さは約 8尺になる、これは漢籍に記載があるものに相当する。
立秋の日の出はそれほどの高さで無い飯盛山からなので、ノーモンは人の高さほどで良いように思う。
このようなことになるので、ノーモンを立てて日の陰を計るという方法は、金生遺跡発なのでは無かろうか。
太陽暦の基準点はノーモンで把握できる
8尺のノーモンとすれば、8尺*30センチ 2.4メートル程のノーモンにより観測すれば良いことになり、金生遺跡の配石先端にこの長さのノーモンを立て観測すれば、観測できる形状になっているように見える。
もしそれがノーモンと配石の関係が整合するとすれば、この観測機の情報が、後のチャイナの記録に残されることになったものかも知れない。設計の元はここにあったのだろう。
月の相は判定が難しい、それはどのようにしていたのか、チャイナの記録にあるという。
引用ーーーー甲骨文・金文や詩経などによると殷・周の時代は日・月や星、植物の生長などを観察して日付を決めていた。これを観象授時暦という。月の初めの日は新月の日(朔日)ではなく、月が見え始める二日月・三日月などの日を当てた。この日を朏(ひ)日という。年始はノーモンの観察などにより、冬至頃に設定された。ーーーー引用終わり
朔旦立春観測はこれと同様に 朏(ひ)日 を観測する方法だったものと考える。
実際に2021.11.4日と2022.02.04日の朔旦において観測してみても3-4日目の月は確認できることがわかった。
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
『中国の科学と文明 第5巻 天の科学』 〔ジョゼフ・ニーダム/著〕
⇒ 〔第 110 図 の 拡大図〕
第 110 図『欽定書經圖説』巻一 堯典
第 20 章 天文学 (g) 天文器具の発達
(1) ノーモンとノーモン影尺
(p.128)
第 110 図 ノーモンとノーモン影尺を使って夏至の太陽の影を測定する伝説上の古代の人物羲叔(羲兄弟の末子)を描いた清末の図。『欽定書經圖説』、巻一、堯典 (Karlgren (12), p. 3) より。
(p.129)
『淮南子』は、10 尺の長さのノーモンが古代に使われたという伝承を伝えているが(これは、すでに述べた周時代の 10 進法度量衡の存在に対する強力な証拠となろう)、これは早期に、たぶんそれが直角三角形の辺に関する簡単な計算の助けには容易にならなかったために、棄てられた。+544 年の虞?の 9 尺のノーモンのようないくつかの例外はあるが、一般に、古代および中世の文献に記されているのは 8 尺の長さである。元の時代、精度を高めるためさらに大きな構造を持ったときでさえ、8 尺の倍数 40 尺が選ばれたのは、後に見るとおりである。完全に水平な台と完全に垂直な棒が必要であることは、漢以前によく理解されていた。なぜなら、『周禮』に水準器および錘を吊るすひもについての記述があるからである。漢の注釈者はこれを同じ長さのひもが、台のおのおのの隅に一つずつ固定されているという意味に取ったが、唐の賈公彦は、吊るすのに 4 つの測鉛線を使ったと推測した。もしそうだったとすると、この器具はローマ時代の測量官が用いていたグローマ (groma) と非常によく似たものであった。
影の長さの最も初期の測定は、もちろん当時の物差しで行われた。しかしこれらは役人の指示と地方の習慣によって一定でないことがわかったので、標準の碑玉の板(土圭)で、ノーモン影尺 (gnomon shadow template) と呼べるようなものが、この目的のためのみにつくられた。それは『周禮』に記されており、実物は素焼きの土製で、+164 年のものが現存している。
大司徒(高官)は[『周禮』に言う]、ノーモン影尺を使って、太陽下の大地への距離を決め、正しい太陽の影(の長さ)を定める。こうして大地の中央を見いだす ……。大地の中央は夏至の時の太陽の影が 1 尺 5 寸ある(場所)である。
大司徒之職。…… 以土圭之?測土深。正日景以求地中。…… 日至之景。尺有五寸。謂之地中。(周禮、地官司徒)
? ここまでに記述された語句の意味を、簡単にまとめておきましょう。
? 古代中国の日時計では、一般的に、八尺の棒である表(ひょう)を基準の長さとした。
? 表の影(かげ)の長さを測る装置=器具が、土圭(とけい)である。
? 表には、ジョゼフ・ニーダムの『中国の科学と文明』で「ノーモン (gnomon)」の語があてられた。
? 土圭は、同書で「ノーモン影尺 (gnomon shadow template)」と表記されている。
? 土圭と表を合わせて「圭表(けいひょう)」と呼ばれることがある。
? 影は『周礼』で日景(ひかげ)と書かれ、『周髀算経』では?(ひかげ)と記述されることが見える。
〔『周髀算経』の内容は、あらためて確認する予定〕
The End of Takechan
○ 日本の古い記録にある「時計」についても、ある程度『広辞苑』でたどることができます。