王塚古墳
古墳時代
このあたりから、よくわからなくなりそうです。
2つのイメージを覚えることにしましょう。(入試問題に出てくるもの)
1 前方後円墳
3世紀ごろから大型の墳墓があらわれ、3世紀後半に奈良盆地を中心とする地域に大きな前方後円墳が造られた。
代表的なものが、堺市の大仙古墳
古墳のまわりに並べられたのが埴輪である。
2 二つのワカタケル大王銘の鉄剣、鉄刀
・埼玉県 稲荷山古墳 鉄剣(つるぎは両刃)
・熊本県 江田船山古墳 鉄刀
稲荷山古墳出土 剣
どちらも「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」と銘が刻まれています。
これが「宋書」に書かれる倭王武だと考えています。
つまり南北朝の宋に手紙を書いて朝貢を申し出た人物です。
ややこしいですね。
けれどこの2つのイメージを結び付けることで、全国をほぼ支配した大王(だいおう、おおきみ)の存在、そして中国へ地位を認めさせるために関係を持とうとした、ということが推察されます。
それは国内の安定もありますが、朝鮮半島の三国(高句麗・百済・新羅)との関係もあったようです。
とくに最近、国立博物館で展示があった伽耶(かや)の地域や百済と親しく、日本から援軍を送ることもありました。
5,6世紀にすでに国際的な関係が重要だったことがわかります。
このことから大陸から渡来する人(渡来人)があらわれて、生活文化や漢字などが伝わった。・・・須恵器(すえき)弥生土器よりも一段と硬質の陶器
このように関連付けて簡単に書いてみましたが、様相はもちろん簡単ではなさそうです。
中学生が受験で迷わないように書いてみました。そして、この時代ではこの2つが出題されます。
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