聖徳太子
といっても、古代史に詳しいわけではないので、法隆寺の宝物の調査に加わった経験からお話しする程度です。
法隆寺から中宮寺に通じる道を歩くといまでも古代の趣きに浸ることができますね。
法隆寺金堂は1949年に火災にあい、国宝の壁画を失いました。法隆寺は再建されたことが明らかになりましたが、それでも世界最古の木造建築で、その壁画は日本で最も古い、そしてすぐれた絵画でした。
よくインド・アジャンター石窟壁画と比較されます。
実際に行って見ました。
残念ながら法隆寺の壁画を見たことがないので、関連性を言うことはできません。
でもそのほかの仏像などを見ても、国際的な仏教美術を作り出していたことがわかります。
こうした国際的な感覚というのが聖徳太子のイメージの一つです。もちろん金堂本尊釈迦三尊像、百済観音像などもそうしたイメージを駆り立てます。
画像お借りしました。
中宮寺や広隆寺の半跏思惟(はんかしゆい)像も入試に出題されます。これは韓国の同じ姿の像と比較されます。
左 広隆寺像 右(韓国)中央博像
実物を見ますと、やはり広隆寺像が日本人にむけて作られた気がします。
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