高校生までの若い世代の自殺者が
「過去最高」だということですが、
これはあくまでも昨年の値で、コロナ禍の影響は今年の方が大きく出るでしょう。
昨年は、得体の知れないものと戦うという気力が、
まだどこかにありました。
しかし今年になって、
少しずつ正体が見えてきて、現実が見えてきて・・・
学校は結局自粛自粛の1年でした。
学校は結局自粛自粛の1年でした。
守ろう高齢者のスローガンのもと、
現代の日本では少数派である子供たちの活動が
ドンドン制限されました。
大人たちが
余計に配慮してやらなければならないのに、
結果的に事なかれ主義で簡単に子供たちに犠牲を強いる。
では塾という立場で一体何ができるのか?
それはサードプレイスとしての個人塾
多くの生徒は、
楽に流れたい気持ちとの戦いだと思います。
そんな彼らを勉強に向き合わせる。
しかし、正論で済ませたくはない。
危機感をあおることもしたくない。
淡々とやるようにしたい。
むしろそれが普通になってほしい。
だからこそ、学校でも塾でもない
個人塾としての強み。
彼らの勉強に対するアンカー(碇)である立場。
なかなか家では集中しにくい。
わからないところがあったときに困る。
などなど、いろいろな問題を抱えたときの
高校受験でトップレベルを目指している生徒には向きません。
少しずつですが、勉強しなくちゃ・・・
では塾という立場で一体何ができるのか?
それはサードプレイスとしての個人塾
だと思うのです。
学校やご家庭以外の
「サードプレイス」
という発想に至ります。
基本的に勉強したくてしている子は少数派です。
という発想に至ります。
基本的に勉強したくてしている子は少数派です。
多くの生徒は、
トップレベルを目指しているわけではありません。
そういう子たちは、
そういう子たちは、
勉強しないで済むならそうしたい、と言うのが本音です。
楽に流れたい気持ちとの戦いだと思います。
そんな彼らを勉強に向き合わせる。
しかし、正論で済ませたくはない。
危機感をあおることもしたくない。
淡々とやるようにしたい。
むしろそれが普通になってほしい。
だからこそ、学校でも塾でもない
サードプレイスとしての塾
と言うところにこだわろうと思っています。
と言うところにこだわろうと思っています。
個人塾としての強み。
彼らの勉強に対するアンカー(碇)である立場。
なかなか家では集中しにくい。
わからないところがあったときに困る。
などなど、いろいろな問題を抱えたときの
一つの解決策として利用してくださいというスタンス。
高校受験でトップレベルを目指している生徒には向きません。
あくまでも普通の生徒が、
勉強に対する意識付けが出来る場
としての位置づけでありたいと思っています
そういう場があることで、
としての位置づけでありたいと思っています
そういう場があることで、
子どもたちは確実に変わっていきます。
少しずつですが、勉強しなくちゃ・・・
という姿勢に変わっていきます。
なお、キャパシティという最大の問題がありますので
なお、キャパシティという最大の問題がありますので
募集人数に達したら
締め切ろうと思います。