気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
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その様な人生を追及しています

'15. 6月6日・・・「史上最大の作戦」& 40年目の「おきなわ丸」

2015年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 おきなわ丸」は私の「ノルマンディー大作戦

基地問題で話題になっている沖縄ですけれど、今ここでは別の視点から私の体験の一部を書いてみたいと思います。

1975 66日(金)午後12時、今から丁度40年前、東京晴海港から「おきなわ丸」で沖縄に向け48時間15分掛けて渡航したのがこの日でした。この6月6日と云うのは1944年に行われた、所謂「史上最大の作戦」として知られる「ノルマンディ上陸作戦」が敢行された日です。敢えてその日に合わせたと云うわけではなかったのですけれど、結果的にそういう日に合致していました。

この渡島、私にとってはその計画立案の頃から、何か暗示的なものを感じていました。そもそもの沖縄渡航の理由としては「琉球音楽を学ぶ事と民話などの収集」だったのですけれど、現実は更に思ってもみなかった体験が数多く待ち受けていて、その波の中に飲み込まれ、はっきりと人生観が変ってしまいました。

1975年という年は「沖縄海洋博」が7月15日から行われ年で、私が渡島したのはその1ヶ月余り前という事になります。しかし当初は何故か、海洋博の事など私の意中には有りませんでした。

初めは那覇に居住するつもりでいたのですけれど、ふとした事から八重山へ行く事になったのですが、そこで、旅の内容が変容してしまいました。全ての事が初体験ですので、どこから何を書いたら良いものか判らない状況ですので困惑しています。カルチャー・ショックの連続でしたので、それ迄の自己の経験など、まるで意味を持たない毎日でした。その辺りの事は、いずれまた折に触れ書く事にします。ここでは知らない間に、既に40年も経ってしまったという、時の流れの速さを『感想』として書き留めるだけにしておきます。

しかし40年という事は、あの頃生まれた人達は、普通に考えれば既に結婚していて孫がいるという事になります。一口に沖縄と言っても、現在の沖縄・変貌を遂げた沖縄しか知らない人達ばかり。当然の事ながら『今』しか見ていない人達がどこ迄歴史認識をしているのか、些か疑問に思えます。「旅行」の在り方も変っているし、沖縄自身も変りつつあるのですから。それをどうこう言うつもりは有りませんけれど、「この国に残された最後の楽園」を、単なるファッションとしての「旅行」で満足をするのはもったいない気がしています。

前述した様に私が最初に晴海港から出港したのは「ノルマンディー上陸作戦」の日。48時時間15分の波間の牢獄を漂って(途中台風の影響を受け)那覇港に接岸した時と今では、沖縄の人達自身も変っていますし、山積する問題も質が変っています。当然、内地の人間に対する接し方も変わっています。それらをクリアしながら、沖縄の本質を見抜く事は、昔以上に難しい事でしょう。

時の為せる業…と云うのは思いの外、複雑な様です。変ってしまったのは、実は私達内地の人間で、沖縄の人達は思いの外、さほど変っていないのです。私はそう思います。

沖縄海洋博から40年。その施設跡は、水族館やらなんやら色々と様変りをしています。それらを見て回るのも良いでしょうが、沖縄本来の良さを心に刻むのなら、やはり八重山に出向くべきでしょう。ゆっくりと日数・時間を掛けて観て回る事をお薦めします。

私の八重山でのエピソードは、いつの日か紹介する事が有るかもしれません。

尚、掲載の写真は、当時石垣島で購入した絵葉書を使用しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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