気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(’77)5月15日(日) #3 久し振りの船中で…

2023年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
船に乗るのは久し振りの事である。去年のクリスマスに石垣へ渡る為にこの那覇港から乗船して以来の事であるから、四ヵ月と三週間振りになる。以来飛行機づいてしまい船とは殆どご無沙汰してしまっている。
三人揃ったところで一緒に乗船した時には未だ客席は空いていて、すぐに座を確保出来たのだけれど、依然としてテツペイさんの姿は何処にも見受けられなかった。出航時間も間際に迫り席も埋まり始め、冗談であるかの様にこの船に乗るのを止めたのかな…と思っていた時、何処からか湧いて出て来たかの様にノッソリとその姿を現し、空いている座を探しながら、私達からちょっと離れた処に腰を降ろしていた。
これでようやく顔ぶれが出揃い、ワイワイガヤガヤしながらタバコを吹かし、取り留めも無い話しの種に花を咲かせていた。雑談の花を。そんな時の流れの中、私の心はまるでその煙草の煙りの様に、色濃く澱んでは色褪せながら拡散して空ろになっていくのに似ている、と思った。私が自分の所在を考え始めた証しとでもいうのであろうか?思いを広めれば取り留めも無くなっていく。

そんな時だった。一人の可愛い、と言うか美人の部類に属する女の娘が辺りをキョロキョロしながら近づいて来て、別にこれといったアクの無い口調で可愛らしい唇から一言、みんなの注意を引いたのであった。
「ここ、空いてますか?」
ずっと横の方の新婚さん(の様に見える二人)が初めそれに答えていた。丁度私の周りに数人分の席が空いていたので、
「ここ空いてますよ。何人ぐらい?」
「あの、三人なんだけれど…」
「ああ、それなら十分十分」
「いいですか?」
「ええ、勿論」
「じゃ、ちょっと友達呼んで来ます」
その女の娘は一度戻り、暫くの間、そう、ほんの少しの間何処かに姿を隠していたかと思いきや、今度は二人の仲間と荷物を持ってやって来た。先程の女の娘と友達らしき娘と一番歳上とみられる女性(それでも二十七~八歳といったところ)の三人。
「何処から来ていると思う?」
誰かが言った。
「私の感だと東海と関西の間みたい」
などと言っていたけれど、再び地元のオジイサンとの話しが始まり、そこにテツペイさんがやって来て話しをしていた。一番年長とみられる女性は一人で八重山のコースを検討していた。二人の娘達は横になっていて初めの娘は疲れている様子で、もう一人は完全にグロッキー状態。
その一人元気にコースを検討し悩んでいる彼女とテツペイさんが話しをしていた事から、話しは私の方へ回って来た。というのも、
「離島の事ならこの人に尋くといいよ。良く知っているから」
…と、テツペイさんが言い出したからだ。そんな事からその三人に関して徐々に私が乗り出していく事になったのだ。取り敢えず明日は竹富に渡ると云う事なので、例に依って我らが泉屋を紹介した。何せ私は泉屋の自称宣伝マンとして活動しているのであるから。
色々と話しを話しをしているうちに彼女達が何処からやって来たのかが判った。話しをしていた年長の女性が名古屋の人で、先ずは先程の予想的中。そしてふたりが九州からで、那覇の民宿で一緒になったそうだ。この名古屋の女性、何やら学校の先生で、ほんの僅かの間を無駄にしない様にと計画に専念しているのも、何となく頷ける。二人の事に付いては未だ判らない。
気がついてみるとテツペイさんは居なくなっており、オジイサンは眠りの中に。そして角山は今にも眠りそうといった様子でオッチャンだけが起きていた。未だ宵の口といった二人はいつしか音楽の話しをしていた。やはり歳だな…と感じさせられた。オッチャンは今年で三十歳。決して外見ではそうは見えないのだが…。色々と知っていた。私の好きなダイナ・ショアやアーサー・キット、ジョージア・ギブスの名も知っていた。タンゴが滅法好きだそうだが、あらゆるジャンルに通じている様である。私は私でお得意のアメリカ音楽の中からカントリーの話しをしてみたり、久し振りに心ゆく迄音楽の話しが出来た事で、嬉しさに心浮かれながら時の経つのも忘れる程であった。
その間も少しづつ揺れながら、不安と希望の地・石垣島に向け、「おきなわ丸」は波間を懐しい潮風を浴び進んでいたのである。

この5月15日に続き、翌16・17日も長いものになっているので、少々割愛しながら分散して書く事になる。こんな長い日記をいつ書いていたのか…と言うと一日の終りで、この頃はその日の出来事を何故か覚えていられた。今では恐らく不可能でしょう。まさに多感期の為せる技だったのだと思う。

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