この時、同じ那覇港内でまた数人に出会うように一日が設けられていた様であった。二階に行ってみると、昨夜のミーティングで喋っていた大阪の髭の男や同じY.H.のホステラーも二~三人いた。そして時間は前後するが、一階の乗船カウンターでは角山が私達の後を追い掛け、多分来るであろうと待ち構えていた。
まあそんなわけで港での再会劇の後、時間潰しに市内をノラリクラリする事にするした。どうも私に限らず旅行者のする事は大方似たりよったりの様だ。以後乗船する迄は誰にも会う事は無かったのであるが、例に拠って私の理力(レーダー)はまた何かを予知していた。『このままでは済まない。何かが起こる…』と、確信していたのだ。それは良くも悪くも両方を兼ね備えているものの様である。一歩間違えば正に地獄へ転落と云う印象さえ与えていた。
やがて平和通りの中へ入り公衆電話を見つけて、今夜はもう那覇には居ないで船の中である事を美恵子姉さんに連絡した。その反応などは思った通りであった。私の気紛れはさすがの美恵子姉さんにも想像を超えるものらしい。
「じゃあ、また戻って来たら連絡してね。必ずよ…」
と云う言葉に頷いて、出発の挨拶を終えたのだった。
正直なところ自分でも認めるけれど、私のやっている事はもう目茶苦茶なのだ。気紛れと云うのも的中しているし、ヤケになっていると云うのもまた当っている。
取り敢えず何か食べよう…と云う事になって、オッチャンの推薦するバスターミナル近くの食堂へ行き、みんなでラーメン・ライスを注文した。ラーメンと言っても沖縄そばだけれど、味付けは極めて良く、何よりも安価なのがみんなの気に入った理由だった。
そろそろ港へ行っていた方が良い時間になったので、私達はY.H.へ荷物を取りに戻る事にした。角山は既に港のロビーに設置されたコインロッカーに入れてあると云う事で、彼だけが先に行っている事になった。
ペアレントに別れの挨拶を済ませ港へ向う道すがら、雨は既に数時間前から上がっていたけど、心持ちこの胸は重かった。そして『何かが起こる』その中に自己の変貌を夢に見ては、複雑な気持ちにタメ息をつくのだった。生暖かい潮風の中に、今回の正確無比なるこの予感の中に、一歩一歩踏み出していたのである。恐い物知らずで馬鹿な私が、他に道が在り得る事を知りつつも危険な道を歩いているのだ。
しかしこれは…単調な人生など無用なものだ…と心に決めて、初めから求めていたものだ。ここに来る事を考えた時、既に旅は当初の目的を変えていたのだ。些か残念とも思えるが、これが私の旅路であるし、今、目の前の港では「おきなわ丸」が私の来るのを今か今かと待っているではないか。頭の中で、その他に何を考えていたのか判らない。気が付いた時には待ち草臥れた様な角山が目の前に映り、そして近付いて来るところであった。
5月15日、この長い一日は、まだまだ続く。#3へと。
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