気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月16日 (月) #1 石垣⇒竹富

2023年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
「八重山・石垣・美崎町、いい所サ。私は好きサ」
と、かつてはWoman Pianast(山城キヨコ)が朝焼けの渚でフッと呟いた言葉が、一瞬脳裏を掠めていった。午前七時。その美崎町に、石垣港に船は着いた。朝早くの美崎町というのも、それはそれでまた良いものが有る。テツペイさんとミス先生嬢達との五人で、ブラリと近所の散歩に出掛けてみた。ラムール(各テーブルに一台づつ電話が置いてある喫茶店)の前を通り郵便局の角を左に曲がる(市場通りになっている)。市場の先から左に曲がり歓楽街の方へ足を向ける。懐しい町並みがそこに広がっている。
「ここら辺で二年前の海洋博の頃居た…」
と、懐かしさを込めて私は言った。実際何度この町へ来ても、いつも仄かな想い出がこの胸に去来する。そのまま真っすぐに進むと海の手前、ボーリング場が通り向かいの右手に見えてくると、その角を左に曲がった。宮平観光ホテルを左後ろにして波止場へ戻ると、ゆっくり歩いていた為か、丁度人の集まって来る時間になっていた。
私達はこれからの簡単な予定を確認し合った。オッチャンはここ石垣のY.H.石垣氏邸に、角山は波照間へ。互いに行き先と連絡場所を告げ合い、また会う事を約束した。そして私はと言うと、三人の娘達の分をも含めて竹富丸の乗船券を四枚買った。どういう理由かテツペイさんの分は入っていなかった。自分で買ったのか、その時その場に居なかったのか…はっきり覚えていないが、とにかく四枚であった。それでも八時四十分、竹富丸・石垣発の第一便にはちゃんと乗っていたのだった。オッチャンと角山が手を振り見送る中を、私達五人は一路竹富へ向ったのである。
今となってはもう何度目なのかも、ノートを集め見直さねば判らぬ程の泉屋迄、もういい加減見飽きた桟橋からの道を歩いた。それなのに心は宙に浮いていた。今この時に、また夢の中へ向って行く時の様な気持ちになっている。果たしてこの道の先は、本当に夢なのであろうか?


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