気の向くままに junne

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'15. 子供の声は騒音か?

2015年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の声は騒音か?

 現在保育園の待機児童は47.000人以上と言われています。少子高齢化と言われている中で、置き去りにされている子供達の問題。古今東西、最も大事にされなければならないのは子供の筈。であるのにも拘らず、社会福祉事業と云うと常に老人問題が出て来ます。それも大事な事だとは思いますけれど、その反面、子供達の問題が影を薄れさせている様にも思えます。

 

 これは個々の意識の変化とも大きな関係が有ると思います。今、保育園の設立に、思ってもみなかった問題が立ちはだかっています。その大きな要点は「」であるとの事。つまり、子供達の声が「うるさい」「騒音」であるとの事で、容易に保育園を作る事が出来なくなっているという事実。

 しかし考えてみて下さい。会社などの事務所の様に静寂を守る様な子供達がいるものでしょうか。人は誰でも子供時代は騒がしいものです。そしてそれが健全な姿なのです。幼児が、はしゃぐ事無く、物静かに時を過ごしているなんて、それは本来の姿ではなく、何かが異常であると考えるべきでしょう。昔の何かのCMにも有りましたけれど「腕白でもいい、元気に育って欲しい」と云うのが本来の在り方であると思います。

 もしも乳幼児が電車内やバスの中で泣き始めたら、半分は親の責任として非難が行くかも知れません。それは公共の場での、いわば密室状況の中での事で、或る程度は親がコントロール出来る事も有るからです。しかし保育園の場合はどうでしょう? 状況も存在意義も全く異ってきます。保育園では子供達が世の中を、社会を学び始める最初の場で、同じ年頃の子供達と交わり自己と他者との異いを学ぶ大切な場所であるのです。そこでは幼いながらも自己内の発散も当然有ります。それが子供特有の甲高い声であり、大きな声となるのです。つまりは子供の成長期に於ける当然の行為なのです。

 この事をただ単に「うるさい」という事で非難出来るものなのでしょうか? そういう人達に私は問いたい。『あなた達は幼児期に、他人に迷惑だと思われない静かな子供であったのか』と。有り得ない。そんな事は有り得ないでしょう。自分達だって、幼児期には親をはじめ周りの大人達を困らせていた筈です。思い出すべきです。今の自分を中心に基準を定めず、子供とはどういうものなのか・・・を今一度振り返って欲しい。

 

 必要な場所・地域に保育園が造れないという事は、増々少子化問題を深刻化させている事になるのです。子供達で賑う町というのは正に理想の在り方であると思います。そうは思いませんか? 社会福祉というのは老人達だけのものでは有りません。子供達をどの様に育て・守るのか、どの様にすれば子供が増えて「明日の国家」が明るいものになって行くのか。そう云った視点に立つ事も社会福祉の問題であるのだと、私は思います。どうか「騒音」であると云う身勝手な考えはやめて欲しい、という提言をします。

 

 

 

 

 



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2 コメント

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Unknown (つばら)
2015-09-10 12:20:41
その通りです。全く同感です
junneさん、見事な問題提起ですね
私もこのニュースを聞いた時、呆れ果ててブログに載せたのですが、この件解決に向けて進展しているのでしょうかネ?
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子供は至宝 (junne)
2015-09-11 01:06:32
つばらさん、こんばんは。

コメント、ありがとう。
この問題、都市集中型の核家族化が方針転換しなければ、解消の兆しは見えてはこないでしょうね。
二十代の頃から考えていましたけれど、年寄りと呼ばれ始める昨今、自分の事よりも子供達の方を気にしています。
子供は世の中の宝・・・と云う考え方は、小学生時代に読んだ『フランダースの犬』の影響が多分に有ると思っています。あの物語りの終りの方で、作者がその様な言葉を(当然動機は異いますが)残していたのを覚えています。明日を創るのは、正に『子供たち』なのですから、大事にしなくてはなりません・・・と思っています。
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