午後二時二十分を少し回った頃、私達がその桟橋に着いた時には未だ竹富丸は付いていなかった。桟橋の裾に在る小さな小屋の中で一服しながら、僅か6〜7km向いの石垣島からやって来る船影を捜している光景は、それこそ潮風と南海の詩といったところだろう。グラスボートに誘った先生を恨めしく思ったりもした。それは、そこにはきっと明美の相棒(友達)の心の中のものと共通する『何か』が在り得たに違いない。青空を見上げては滴り落ちる汗を拭っていると、ひときわ大きく辺りの人達の声が響いた。『肥りすぎのアザラシ』がやっと到着したのだ。チヨツピリ寂しさを感じたけれど、これも明美の為だと云う事で明るい微笑みを返し、
「じゃ、明日の朝ね。九時の船に乗るね」
と言った後、
「グラスボート楽しんでね」
一言そう付け加えて手を振り見送った。小さな窓の中から手を振る明美を乗せて、太っちょアザラシは石垣へ向いエンジンの音を高め、大きく白い波包を残して自らの姿を小さく消していった。定刻の二時三十分を遥かに過ぎていた。明美を見送りまた泉屋に戻った後、私は何をして時を過ごしていたのだろうか?何をしていたにせよ、頭の中では一つの事が次々にその波紋を広げていたのは確かな事だった。
夕方、気持ちの良い風を浴び、暮れゆく空を見ながらの食事をした後の事だった。二日前に免許か切れたのを思い出した大阪の学生が、どうしたら良いものかアタフタしながらみんなに相談していた。四回生というのにとんだドジを踏んだものだ。やがて広間に居た私の処にもやって来た。約一ヶ前に更新を済ませた時に仕入れた資料(情報)が未だ頭の中に確かな記憶として残っていたので、未だ見込みが有る事とその方法を教えてあげた。一本の電話で済む事なのだけれど、今日はもう遅いので明日掛けるように言ったけれど、どうも彼は落ち着かない様子だった。しかし、例の宴会の段になるとさすがに泡盛の効き目は魔法の様に素晴らしく、彼をその世界へ、みんなの世界へと引き込んだのだった。
そんなこんなでいつもの様に泡盛を飲んでいると、私宛の電話が掛かってきた。八時を少し回った頃の事だった。
その電話、私に掛かってきたという事で、些か困惑した様子が傍目に映ってしまった様だ。何しろ相手の見当などまるで付かず、ここに居るのを知っているのは誰だっただろう…と考えたり、何の用だろうなどと思いを巡らせてしまった。受話器を受け取り話し始めると、意外な声の主はあの「先生」だった。用件は次の通りであった。…明日の朝、グラスボートの都合に依り一時間程遅くなるので、了解を兼ねて詫びてきたのであった。そんな事ならば明美が直接そう言えばいいのに…と思いながらも、わざわざ先生が掛けてきた事が何となく頷けていた。勿論私はその伝言を快く了解した。
「それじゃ、朝十時の船に乗ればいいのね」
と確認を取り、お休みの挨拶を交わし受話器を置いた。
私は何に向かっているのか判らない。この南海の大自然の様に、永遠不滅の真の歴史に書き記される。いつでも何処でも常に新しい歴史が時の流れの中で、「真実」と言う名の殿堂入りを果たしているものだ。
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