気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘77) 5月8日 (日) やっぱり

2023年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
午前九時半、チェックアウト・リミットの三十分前にホテルを出た。先ずは荷物を駅のコインロッカーに入れ、今日は中洲を重点的に歩いてみた。…が、ただ時の空費に終始してしまった…という気持ちが頭の中から離れなかった。気が付いたらまた駅前迄戻っていた。
これは暗示的なものであつた様にも思える。色々とこれからの行動に付いて考えたつもりになって(しかし、本当はどうだったのだろう?)、一つの答えを出した。
「沖縄へ行こう」
これがそうであった。それにしても、これは答えとして本当に正解であったのだろうか? ただ初めから沖縄へ行きたかっただけではなかったのか…?  兎に角そうと決めたからには 何とかしなくてはと思い、電話帳から全日空のフライト・インフォメーションの番号を探し出し掛けてみた。運良く(?)空席が有ったので、もったいないとは思いながらもタクシーを奮発して空港へ向った。
全日空Flight−127トライスター。午後一時四十五分発の便で、心に浮かんだ懐かしの那覇空港に着陸したのは午後三時二十分だった。先ずロビーで目にしたものはと言えば、お馴染みのパインとサーターアンダギーであった。《サーターアンダギー》、何と心を弾ませる響きを持つ名前だことだろう。初めて目にした丁度一年前の与那国での日々が、何よりも先に思い出されてくる。思い出話しはさて置き、取り敢えずそのサーターアンダギーを一袋買った後、約十五分ぐらい待ってバスに乗った。空港から那覇市内へと近付くにつれ、何しに来たのかという目的などは忘れ、暫し懐しの光景に目を奪われていた。何処行きのバスなのか良く確かめもせず乗った為、はっきりと見覚えのある場所で降りた。少々時間が掛かったものの国際通り迄辿り着き、後は歩き慣れたいつもの道をいつもの様にY.H.春海荘へと向った。暑い…とにかく暑い。しかし、この暑さこそ私の生活に必要なものなのだ。

Y.H.で一服した後ちらっと出歩き、前回の年末年始の竹富で出逢った三人のお姉さんの一人、美恵子姉さんに電話を入れたけれど留守であった。一度戻ってお風呂で汗を流したり夕食…などなど。夜風が肌に心地良く感じ始めた頃、定例のサテンドールに行った。たった半年足らずの事ではあるが、様子がガラッと変っていた。何とも味気の無い店になってしまっていた。人が変ったのだろうか…?初めてドアを開けたあの日が妙に懐しく、そしてもう遠いものの様に思えた。
Y.H.に戻って再び美恵子姉さんに電話を掛けたら今度は居た。何を話していたのだろう。だいぶ長く話しをしていた。夕方の電話の主が私である事は判っていたらしい。かなり驚いていた様だった。東京からだと大変なものだし、それにしては声が近かった(そうなの?)…という電話を受けた人の話しから、沖縄へ(やっぱり)来たのだろうか…って。こんな場合は多分誰に電話をしたとて、同じ様な反応が返って来るかもしれない。
とにかくこの電話で明日みんな(三人のお姉様達)と会う事になった。美恵子姉さんが夕方六時頃Y.H.に迎えに来て、一緒に幸子姉さんの保育所へ行き、後から高子姉さんがやって来る…といった具合である。もう既に雨季に入ったのだろうか…?雨が降りそうな空模様だ。明日はどうかな…?

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