何をやっていたのか解らないままに、気が付いたらもう十二月、師走の声を聞いています。何に感けていたのかやり残した事が多い様な気になってしまう。改めてカレンダーを見ていると、2015年と云う数字が目に飛び込んできた。そしたら、 「ん…この数字…」 何の気なしに思いを馳せていると、或る事に気が付いた。そう、今年は昭和90年だった。普段は元号を否定し西暦しか使わないので、十一か月間気が付かなかったけれど、私の生まれた時代は90年も経っていた。 「築90年の家に住んでいる様なものなんだァ…」 と思うと、いつ引っ越してきたのか(生まれたのか)、何年棲んでいたのか(齢)を嫌々ながら振り返らざるを得なくなってしまいました。結果⇒溜め息。あとどのくらい棲むのか、昭和100年はどんな時代だろうと考え始めた途端に、やめました。だって、『ケ・セラ・セラ』なのですから。
そこで90年前の事を調べてみたら(都合よく何かが有ったとは懐疑的に)、或る出来事が都合よく見つかりました。なんと、当時は現在の山手線が環状ではなかったのでした。所謂内回りで上野駅から東京駅迄は何とか繋がっていたものの、御徒町駅、秋葉原駅、神田駅が無かったのです。仮に新宿駅を起点にするなら、新宿⇒四ツ谷⇒東京⇒(ここから外回りで)渋谷⇒⇒池袋⇒上野という、ひらがなの「の」の字に走っていたのです。何と云う事でしょう。私の駅が無かった~。日本国・鉄道省は何をやっていたのでしょうか? 怒りムラムラ・火がぼうぼう。黒門町からは省線に乗れない状態だったのです。銭形の平次親分も半七親分も怒った事でしょう(有り得ないですが)。
それがめでたく繋がり、現在の環状になったのが90年前の1925年だったのです。めでたしめでたし。時に『東京府』と呼ばれていた時代の事でした。深川で大工(でーく)をしていた母方の祖父の住所は、東京府深川市となっていました。北への玄関・上野駅と西下する出発点としての東京駅が、とにかく重要視されていたのだと推測するしか有りませんね。上野駅⇒東京駅が結ばれたのは、東北新幹線と東海道新幹線が直結されたのと同様の理由として見て取れます。
気が付けば昭和90年師走一日。ちょいと時間旅行をしてみました。 今年は参の酉迄有りましたね。参の酉迄有る年は火事が多いと言われています。みなさん、火の元には十分気を付けましょう。
おしまい。
そうですか~
なんだか感無量ですね
アッ、ちゃう チヤう、私、90歳
ではありませんよ<笑
デモ、昭和生まれの昭和育ちとしては
やっぱり感無量ですね
教えてくれてありがとう!
次の元号が変る日迄、何とか生き延びましょうか?